フものは単に二つの部門であるばかりではなく、時代々々によってそのどれか一つが他方のものに対して支配的な位置を占める。例えばカント以前が形而上学の全盛時代であり(カント以前にも或る意味の認識論はあった――デカルトやロック又ライプニツ)、カント以後のドイツ哲学はたといそれが形而上学の形を有っていてもなお且つ認識論的特色を忘れてはいないと考えられる。そして現代は又形而上学の復興――ヘーゲル復興・スピノーザ復興・存在論への動向・其他――の時代だと云われている。だがそうなると、形而上学と認識論との区別は、もはや二つの部門の区別ではなくて、実は哲学上の二つの立場[#「立場」に傍点]の区別となるだろう。所謂批判主義――それが特に喧伝されるようになったのは新カント学派の努力による――は、こうした一つの立場としての認識論として登場して来たものである。
 併しこの認識論(夫はとりも直さず批判主義の最近の形態に外ならぬ)は、必ずしも言葉通りに認識理論なのではない。と云うのは、之は単に認識の理論なのではなくて、正に科学的認識[#「科学的認識」に傍点]の理論なのである。実際カントが「認識」と呼ぶものが、又「経験
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