ナあるばかりでなく、そうであることによって又相互に矛盾せざるを得ないものとなる。
 救済は併し空から天降って来ることは出来ない。丁度資本主義は資本主義自身の用意した契機によって止揚されねばならないように、この二つの矛盾物は、それ自身の力関係の内から矛盾の解決の鍵を見出さねばならぬ。
 実際、今日のジャーナリズムは次第にアカデミズムの従来の領域と権威とを奪い、良かれ悪しかれその力を増大しつつある。わが国などではジャーナリズムと云えば以前は単に文壇的なものとしか考えられなかったものが、今日ではアカデミーの独壇場であった理論の世界を蚕食して、論壇[#「論壇」に傍点]が形成されるに至ったのを見る。ジャーナリズムは理論的ジャーナリズムにまで、進行したのである。アカデミズムに対するジャーナリズムのこの力関係は併し、前者が主に封建制度からの伝統を持った封建的生産物の資本主義制度の下に於ける残存物であったのに反して、後者が専ら純資本主義制度の所産であるという、歴史的推移に於ける二つのモメントの力関係を云い表わしているに外ならない。でそれだけ、アカデミズムは熟しそして老い、それが含む凡ゆるモメントをすでに叙述し展開しつくしているが、之に反してまだ若いジャーナリズムにとっては、まだその凡ゆるモメントが客観的に展開し尽されては居ない。ジャーナリズムは、その可能性がまだ悉くは実現していない、それは客観的に様々なモメントを混同している、それは多分の未来を有つ。と云うのは、今日のジャーナリズムの形態は取りも直さずブルジョア・ジャーナリズムであったが、そして近来わが国のジャーナリズムも、急速に左翼イデオロギーを閉め出し始めたが、併しこのジャーナリズムの内には近来まで、左翼イデオロギーのための余地が残されていなくはなかった。そしてより重大なことは、今日ではすでに、ブルジョア・ジャーナリズムから独立に、プロレタリア[#「プロレタリア」に傍点]・ジャーナリズム[#「ジャーナリズム」に傍点]が発育し始まっているという事実である。
 近代ジャーナリズムは近代アカデミズムに較べてその発生の時期が新しいにも拘らず、尤も之は当然なことだが、却ってアカデミズムよりも現に先の歴史的段階を歩いている。アカデミズムとジャーナリズムとの矛盾の止揚はだから、アカデミズムの側からではなくて、正にジャーナリズムの側から、而もプ
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