キる代りに、恐怖の対象物に帰するような体系を打ち建てると変らない)。
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* 拙稿「無意識的虚偽」(『イデオロギーの論理学』【前出】の内)を見よ。
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 三、以上の二つに連関して、規範性[#「規範性」に傍点](〔Normalite'〕)の問題が生じる。吾々による価値論――価値意識の理論――は、この病理学的・犯罪学的・道徳学的な規範性の概念にまで結びつけられなければならないだろう。
 其他々々。併し大切な点は、社会心に就いてのこれ等の諸課題が、階級意識を中心として取り扱われない限り、纏りが付かないだろうということである。即ち之がイデオロギーの理論に立って初めて節度を与えられるだろうということである。と云うのはこうしたイデオロギーの「心理学」は、イデオロギーの論理学によって初めて骨格を与えられるだろう、ということである――第二章を見よ。

 さて吾々は最後に、意識形態[#「意識形態」に傍点]としてのイデオロギーと文化形態[#「文化形態」に傍点]としてのイデオロギーとの関係へ移ろう。併しなるべく簡単に(文化形態[#「文化形態」に傍点]に就いては第三章を見よ)。
 文化――その形態としてのイデオロギー――は、もはや意識[#「意識」に傍点]ではない。だがそれは云わば意識の客観化されたもの、意識の所産である。それは作品や設備機関に結び付いた主体であると云うことが出来る。だから夫は意識形態を媒介とすることによって説明されねばならない。そしてこのことは取りも直さず、階級意識[#「階級意識」に傍点]を媒介とすることによって説明されねばならぬということに集中する。――実際、吾々の社会心理学は外でもない、元来このような役割を果すためにこそ、用意されねばならなかった。併し階級意識を媒介として文化現象を説明することは、もはや単に何かの意識――社会意識其他――だけを[#「だけを」に傍点]説明原理とすることではあり得ない、何故なら吾々による意識はすでに、経済関係従って又政治関係――階級――を背景に持つものであったから。文化形態は意識形態から生じるが、それは後者の単なる自己同一的な延長ではなくて、後者が最も高次な或るものに質的に転化した処のものである。それは必ずしも意識形態の内には見出されなかった処のそれ特有の歴史的運動条件に従う*。それ
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