けられねばならない。吾々の見て来た最後の方法から云って之は必然的である。意識はまず第一に階級意識[#「階級意識」に傍点]――又は階級心――として性格づけられ、そういうものとして分析されなくてはならないのである。意識はそういう意識形態[#「意識形態」に傍点]として、一種の意味でのイデオロギー[#「イデオロギー」に傍点]と見られなくてはならない(吾々は意識形態としてのイデオロギーと文化形態としてのイデオロギーとを区別する。社会人の心理――階級意識――は今、前者の意味に於てイデオロギーだと云うのである)。
 階級意識の分析で最も眼立たしいのは処で、G・ルカーチであろう。だがルカーチによる階級意識とは何であったか。それは生産過程の一定の典型的な情勢に帰属せしめられる処の合理的に適合されたる[#「合理的に適合されたる」に傍点]、生産過程の反作用である。と云うのは、階級意識とは、決して、個々のプロレタリアの心理的意識でもなければ、プロレタリア全体の集団心理学的意識でもない、階級の歴史的情勢が意識された処の意味[#「意味」に傍点](Sinn)なのである。それは無論単なる擬制ではない。併しそうであるからと云って何等心理学的実在性を有つものでもない。それは実際にプロレタリア個人によって意識された意識ではなくて、プロレタリア個人によって意識されるべきである処の――実際はまだ意識されていない――「客観的な可能性」に外ならない。この客観的可能性に過ぎない階級意識を事実として現実化することによって初めて、世界の経済的危機の実践的解決も可能になる、と云うのである*。
[#ここから2字下げ、折り返して3字下げ]
* 〔G. Luka'cs, Geschichte und Klassenbewusstsein, S. 62―3, 86―8, 92 etc.〕
[#ここで字下げ終わり]
 だからルカーチに従えば、階級意識とは、要するにプロレタリアがもつ現実[#「現実」に傍点]の意識ではなくて、あるべき理想的な意識である。それは心理的な実在[#「心理的な実在」に傍点]から独立に理解された論理的な意味[#「論理的な意味」に傍点]の世界である。意味とはリッケルト達に従っても、成程仮構物ではないがどのような点でも存在[#「存在」に傍点]ではない。この新カント主義の意味論がマックス・ヴェーバーを通ってルカーチ
前へ 次へ
全189ページ中180ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
戸坂 潤 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング