熟と共に併しながら、プロレタリアの結束が、プロレタリアのブルジョアジーからの凡ゆる方面に於ける独立が、結果する。ブルジョアジーはその時、この次第に革命的となりつつあるプロレタリアに対抗するために、是非ともみずからの曾ての革命的性格を振り落し、或いは民主主義的、或いは絶対主義的・ファシスト的な変質を遂げねばならない。反抗的であったブルジョア的イデオロギー論も、亦イデオロギー論であることを止めて、単なる知識社会学[#「単なる知識社会学」に傍点]としてみずからを性格づけねばならなかった。何となればイデオロギーなる概念は、多少とも政治的・革命的なるものとの縁を絶つことが出来ないからである。所謂――ブルジョア的――知識社会学がイデオロギー論であることを、又は其になることを、欲しないのは誠に賢明であると云わざるを得ない。
知識社会学のこのような変質は、併しながら、であるから、プロレタリア的な知識社会学――イデオロギー論――の発生に、無意識的にか意識的にか、対応する。プロレタリア的知識社会学とは取りも直さずマルクス主義的「イデオロギー論」であった。――実際、イデオロギーと云う言葉を、今云うイデオロギー論という言葉のイデオロギーという意味に、即ち上部構造としての意識形態・乃至観念形態という意味に、初めて用いることの出来たのはマルクスその人であった*。
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* イデオロギーの概念の発生と変化とに就いては森戸辰男氏「マルクス・エンゲルスのイデオロギー観」(『大原社会問題研究所雑誌』第八冊)が好い文献である。なお、G. Salomon, Historischer Materialismus und Ideologienlehre(〔Jahrbuch fu:r Soziologie, Bd. ※[#ローマ数字2、1−13−22], 1926〕)を参照せよ。
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マルクス主義的社会科学が一般に所謂社会学[#「社会学」に傍点]を圧倒し牽制するように、マルクス主義的イデオロギー論――尤も正当なイデオロギー論はマルクス主義的のものでしかなかったのであるが――は所謂知識社会学[#「知識社会学」に傍点]を圧倒し牽制する。そこで知識社会学は之に反作用することによって、みずからイデオロギー論を名乗り、イデオロギー論を作らねばならなくなる。そ
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