於て――直接に直ぐ様ではない――動きのとれない結果に陥るであろう。人々はここに至って初めて性格の誤っていたことに気づくのが普通であるであろう。事物の性格を択ばせるもの、それを例えば理論的計画であると云ったが、この理論的計画は個人の任意の成心によって立てられるのではなくて、正に、歴史的運動――その事物の・またその事物がぞくする歴史的全体の――によって口授されるのでなければならない。今や云うことが出来る。歴史的運動の車輪の転回に順い又之に寄与するもののみが性格的である、歴史の車輪を逆転する立場に於ては之に反して性格が失われる。後の場合の性格は誤られたる従って性格でない処の性格であるであろう。
歴史的全体が描く歴史的運動の曲線の各点に於て、性格は切線として理解せられる。或る一点に立ちながら而も他の点に固有な切線の方向を追求しようとするならば、この性格の誤解は時代錯誤[#「時代錯誤」に傍点]となって現われる。というのは時代こそ代表的全体に外ならないであろうから。時代々々に固有な切線の方向に力を加えることによってのみ、歴史的運動の車輪は最も的確に有効に能率的に回転せしめられることが出来る。この
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