驍アとではなくして、大衆がその事物の水準の高さにまで組織化されることであった。従って科学の大衆性とは、科学を大衆化すとは、大衆がその科学を把握し得るような水準にまで組織化されることである筈であった。科学[#「科学」に傍点]が大衆にまで降りて来ることではなくて、大衆[#「大衆」に傍点]が科学にまで昇って行くことが、科学の大衆化なのである。それ故科学の大衆性[#「科学の大衆性」に傍点]とは実は大衆の科学性[#「大衆の科学性」に傍点]でなければならない。この点は根本的に重大である。この意味を説明しよう。
 科学は云うまでもなく科学するものの存在[#「存在」に傍点]を離れては存在しない、であるから、科学は科学するものの存在を離れて考え[#「考え」に傍点]られてはならない。今科学の大衆性という問題に就いてはそれ故、単純に科学[#「科学」に傍点]をまず第一に語るべきではなくして、科学する大衆[#「大衆」に傍点]をまず初めに語る必要が生じて来る。科学があって科学の大衆性が問題になるのではなくして、大衆があって科学の大衆性が問題となるのである。科学せんとする大衆がまず存在して、その上で科学の大衆化が必
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