fミー――高踏化――であるよりも、寧ろジャーナリズム――俗流化――であることは、実際問題として特に注目に値する。
科学の高踏化[#「高踏化」に傍点]とその俗流化[#「俗流化」に傍点]とは、科学の大衆化[#「大衆化」に傍点]の名に於て批判さるべき、二つの虚偽である*。夫を吾々は今までで見た。科学の大衆化という、この階級的[#「階級的」に傍点]啓蒙は、この二つの虚偽を――インテリゲンチャと有産者とに対して――批判することを以て、始めねばならぬ。そうした後になって初めて、科学大衆化の積極的任務が具体的な形で課せられ得るであろう。――さて今までの吾々はこの前半を取り扱った、科学の大衆化が何で無いか[#「何で無いか」に傍点]、を。次に後半を、科学の大衆化が何であるかを[#「何であるかを」に傍点]、改めて見よう。
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* 科学の通俗化・報道化・実際化・は之に反して虚偽[#「虚偽」に傍点]ではなかった。之等のものはそして、没階級的啓蒙[#「没階級的啓蒙」に傍点]であったことを注意せよ。
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大衆性とは、大衆化とは、事物が単に普及され
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