A吾々は圧倒性を持つ多衆をこそ問題とすべき歴史的現実的動機を持ち、特に圧倒性の反対物としての多衆を問題とする歴史的動機を現在有たなかった、から。それであるから多衆概念の矛盾の、この方向――圧倒性の止揚を通じての――に於ける止揚は、多衆概念の形式論的[#「形式論的」に傍点]・可能論的[#「可能論的」に傍点]・カズイスティック的[#「カズイスティック的」に傍点]分析の上で可能であり、それは併し現実的には、多衆概念自身の[#「自身の」に傍点]止揚に外ならないのである。概念の形式的救済が夫の現実的破滅を意味する処の、かかる現実的弁証法は、実際多くの形式主義的理論家が逆用する常套手段であるであろう。彼等は事物――例えば国家・階級等々――の形式的定義[#「形式的定義」に傍点]から出発し、そうすることによって実際には、その事物の性格[#「性格」に傍点]を否定することに成功するであろう。今が丁度それである。
 大衆を語るに際して吾々の問題となった限りの多衆概念は、それ故、それが有つ低質性(平均性)の止揚の方向に於てのみ、その矛盾を止揚され得る。この概念の現実的動機、この概念が今使用され・取り出され・問
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