ればならないようである。
処がそれならば何故、このように調子を下げて応対せられるにしか値しない大衆が、現にそれ程問題[#「問題」に傍点]とならねばならないのか。もし大衆が、無価値なものでしかないならば、それを問題とするに値しないだろうからして、問題となるからには之は積極的な価値を有つ筈であろう。人々のかかる大衆の概念はそれ故実は、大衆を語る処の、自らを大衆から区別する処の、非大衆[#「非大衆」に傍点]――反大衆――の側に於ける大衆概念なのであり、そして而もそこには直ちにこの概念の一つの根本的な矛盾が暴露されているのである。大衆に対するこの非大衆は、その意識の伝統の必然性によってはかの大衆を低く評価しながら、外部的な圧迫に強制されては、之を高く評価せねばならぬ喜ばしからぬ義務を意識しているからである。所詮この大衆概念は、大衆が自ら[#「自ら」に傍点]を意識するための概念ではなくして、却って非大衆が自らを夫から区別して意識しようがための概念であるだろう。之は非大衆的[#「非大衆的」に傍点]な大衆概念に過ぎない。大衆の大衆的[#「大衆的」に傍点]概念――大衆的理解――は之に反して、必然的な
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