な感情の論理を用いるのであると考えられる。而も凡そ論理が人間の日常の必要にせまられて発達し、必要に応じて初めて用いられる以上、感情の論理は永久に人間の生活の内から消え去る理由を有たないわけである。
推論に対してその推論が帰結すべき結論が予めその目的として与えられると云った。その目的は様々である。一定の情念に就いて一定の結論を得るために、人々は種々なる推論を好み又は嫌う――選択する。幸運なる恋人にとっては一切の事物は喜ばしい、何となれば[#「何となれば」に傍点]――彼又は彼女はそう推論することも出来る――悲しき物の姿も却って喜びを際だたせるために存在するのであるから。之に反して不幸なる恋人によれば一切の事物は味気ない、何となれば[#「何となれば」に傍点]喜ばしく見える物もつまりは幻影に過ぎないから(「悲しき時に楽しかりし過去を思い起す程悲しきはない」)。次に例えば一人の仏徒が頓悟徹底出来たとしよう。その時初めて彼は何故この出来事が自分に於て必然でなければならぬかを推理し始めるであろう。科学者が一つの発見を目論見るならば、その発見へ導くべき恐らく無数の推論が予め構想されるであろう。又政治
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