ら、変化を原理とする限りの歴史からは遊離することが出来る。歴史は自らを自己の地盤から遊離せしめることが出来る。之が歴史社会的存在の歴史的運動に於ける遊離性[#「遊離性」に傍点]と呼ばれたものなのである。さて理論も一つの歴史社会的存在として、その歴史的運動に於て自らを遊離せしめることが出来る。この遊離性が或る種の論理的虚偽[#「論理的虚偽」に傍点]として事実反映して来るであろう。歴史的遊離性がすぐ様論理的虚偽ではない、それは単に遊離性にしか過ぎないであろう、併しそれが理論に反映することによって、改めて虚偽として自己を表現すると云うのである。それはこうである。歴史社会的地盤を遊離した諸理論は、みずから掲げた一応の問題をしか解くことが出来ない。なる程どのような理論にあっても、選択された問題は、それが提出された問題提出の仕方に沿うて、必ず一応は解かれることが出来る性質を有っている。遊離した理論は併し、ただみずから選択した一通りの問題をしか解き得ないのであって、進んで必然的に他の諸問題を解くことが出来ない、と云うのである。元来、問題らしい問題は、それが一旦解かれることによって必ず次の問題を解くべ
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