るものとして理解されるべきである。
 前に帰ろう。論理形態を決定するものは社会であり、更にこの社会の形態を決定するものが歴史の現実性であった。そしてこの現実性が就中政治的であったのである。従って論理形態は政治的に決定される[#「論理形態は政治的に決定される」に傍点]わけである*。性格的論理――吾々が今論理と呼ぶのは常に之である(前を見よ)――は政治的性格[#「政治的性格」に傍点]を有つ。蓋し性格的論理の性格という言葉は、結局、就中この政治性を云い現わすのであった。茲では論理と政治とが一致する、理論[#「理論」に傍点]と実践[#「実践」に傍点]とが統一を得る所以である**。
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* 政治形態[#「政治形態」に傍点]が更に何によって決定[#「決定」に傍点]されるかは他の場合の問題としよう。――吾々は唯物史観[#「唯物史観」に傍点]を仮定して好い。
** 吾々は praktische Theorie, theoretische Praxis 等々の言葉をもつ(例えばディーツゲン前掲書を見よ)。
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[#3字下げ]三[#「三」は中
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