ネて反対し得ると想像するに違いない、もし論理形態が終局的に社会的存在に依存するならば、一体論理の独立性[#「独立性」に傍点]――自律――は何処へ行ったのであるか、もし論理の独立性が否定されるならば、この文章自身すら独立な真理性を有てなくなるではないか、それは何か社会的存在に他律的に順応する外はなくなるではないか、と。併しその所謂独立性とは何か。夫は理念[#「理念」に傍点]の独立性のことであろう。理念の独立性、夫は理念が何等か理念以外のものから無関係であり得ることの外にはないであろう、必ず関係しなければならないならば独立ではなかろうから。そこで真理という理念がそれ自身以外のものへ働きかけ[#「働きかけ」に傍点]なくても済ませること、之が論理の所謂独立性――自律――であるのか。併しそれは吾々自身が初めから主張していたことの外ではない、曰く、理念は現実に対して無力[#「無力」に傍点]であると。吾々は少くとも社会的存在が論理の理念を造り出す[#「造り出す」に傍点]などとは云わなかった。凡そこのような天地創造説は吾々の知ったことではない。その限り論理は確かに大丈夫独立性を有っていないのではない。
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