nの概念に関係づけて区別しておこう。立場は極小の予想――それが独断的であろうと無かろうと――から成立するのが最も優れていると考えられる。予想なき立場は、この絶対的出発は、立場なき立場[#「立場なき立場」に傍点]として、立場の上乗に数えられる。併し形式論理学的同一律こそ極小の予想を有つものではないか。併し実際は人々は夫々の問題[#「問題」に傍点]を有っている。そして問題は或る意味に於て予想そのものに外ならない。何となれば、問題は常に歴史的に与えられ又は発見されるのであったから。社会に存在する説話が・神学が・世界観が、理論に対して問題を予想せしめるのである。立場は予想からの自由であり、問題は或る意味に於て予想そのものである(但し問題は常に批判されたる予想であってドグマであってはならない。そしてドグマからの自由は必ずしも予想からの自由ではない)。問題の歴史性は再び茲に明白である。
問題の概念は理論を歴史的に規定せしめ、之に反して立場の概念は理論を非歴史化す。何かの理論をその立場として把握することは、之を形式化し、平面化し、本質化し、同時存在化することである。それは理論が理論としてもつ性格――歴史社会的性格[#「歴史社会的性格」に傍点]――を中庸化し凡庸化することである。之に反して何かの理論をその問題に於て把握することは、之を歴史社会的規定に於て見ることであり、之を歴史化し、性格化し、立体化し、内容化することである。故に今や人々は、如何なる理論に対しても、之を単に何かの立場に還元し、その整合――その体系・その論理的仮定――を吟味することによって、その理論を正当に批判し得る、と思うことを許されない。理論は凡て、それを動機づけたそれに固有な問題にまで遡ることによって、そしてただ其処からのみ、その性格を把握されるべきである*。或る理論が有つ問題そのものを把握せずして単純にその立場の可能不可能を論ずることは、無意味であり又は有害である。この結論は今まで述べて来たことによって一義的に明白であるであろう。処がそれにも拘らず、人々は往々理論の立場の整合のみに心を奪われて、それを動機づけた問題を理解することを怠る。かくてその性格を見失うことによって、中和的となり、かくて人々は自らを公平にして批判的であると呼び得るのである。
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* 注意すべきは問
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