烽フは、恐らく問題としての立場[#「問題としての立場」に傍点]であって、決して立場としての立場[#「立場としての立場」に傍点]――[#「――」は底本では「――――」]それは整合であった――を意味するのではないであろう*。実際何人も単なる整合――整合としての整合――からは出発[#「出発」に傍点]しない、たといその理論をそれに還元[#「還元」に傍点]しようとするとも。もし之から出発するならば「AはAである」こそ唯一の内容である筈である。偶々自我が問題[#「問題」に傍点]であればこそ、[#横組み]”A ist A“ [#横組み終わり]は [#横組み]”Ich bin Ich“ [#横組み終わり]の出発点[#「出発点」に傍点]と見えるのである(それ故 [#横組み]”A ist A“[#横組み終わり] はフィヒテ知識学の唯一の出発ではない)。整合としての整合からは何人も出発する動機[#「動機」に傍点]を得ることが出来ない。整合は立場であった。故に何人も実際の動機に於ては立場から出発しているのではない。ただ問題としての、問題が立場の衣を着けた限りの、立場からのみ出発出来る。このような立場――人々が日常持っている立場概念――に就いてのみ、立場の深浅・広狭・抽象性・具象性等々が語られることが出来る(前を見よ)。事実、理論の整合からの出発は、理論の実質としてよりも寧ろ多少とも立論上の技術として(叙述・方法・体系とは時にこの技術を意味する)、理論のあとから――決して前からではない――加えられた仕上げとして、価値を有つ場合が多い。
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* 問題としての立場、問題[#「問題」に傍点]概念と立場[#「立場」に傍点]概念とのこの混合物は、多くの立場に於て見受けられる。例えば観念論という立場[#「立場」に傍点]――それは実は観念を問題[#「問題」に傍点]にしている理論に外ならない――とか、唯物論という立場[#「立場」に傍点]――それは物質[#「物質」に傍点]を問題にする理論の外の何物でも実はない――とか。処で比較的[#「比較的」に傍点]問題の概念を混えない純粋な立場概念を吾々は絶対主義乃至相対主義[#「絶対主義乃至相対主義」に傍点]に見出した。何となれば之に直接に結び付いた問題は別にないように見える[#「見える」に傍点]から。故に立場の代表的な例として両者
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