理論乃至研究の概念の欠乏を暴露しているものに外ならない。――問題なき理論は恐らく単なる思惟又は思考ででもあろう。併しそこには思想はない、在るものはただ理論らしい姿を装う多くの没理論でしかないであろう。問題なき理論、社会的歴史的性格[#「社会的歴史的性格」に傍点]をもたない理論、そのような理論が如何に無意味であるかを痛感する人々は、問題の概念が何故かくなければならないかを知るであろう。
問題は理論(乃至科学等々)に関してのみ語られる。そして後者が歴史的社会的存在であると同じく、前者は歴史的社会的存在であることが忘れられてはならない。
問題の歴史社会的構造を系統的に――そして理論[#「理論」に傍点]へ関係づけて――分析することは最も重大で必要な仕事であるように見える。今はその断片として問題の概念を立場[#「立場」に傍点]の概念に較べた限り、分析しようとする。
問題が歴史社会的存在であるからと云って、問題が常に歴史的に(又社会的に)与え[#「与え」に傍点]られているということには必ずしもならない。というのは、それが常に既成的[#「既成的」に傍点]のものであって個人又は何かの集団が其を見出[#「見出」に傍点]し又は発見[#「発見」に傍点]する余地がない、ということになるのではない。なる程或る人々にとっては歴史的(又社会的)とは既成的のことであるように見えるかも知れない。既成的ならぬもの――突発的[#「突発的」に傍点]なるもの――から既成的なるものへの作用は、この意味に於て、非歴史的と考えられ勝ちなのである。かかる突発的なるものは歴史的連続を破るかのように見えるから。処が一般に歴史家は皮肉にも、過去のそのような非歴史的事件を、恰も最も著しい歴史性をもつものとして好んで取り扱いはしないか。所謂歴史的連続は、恐らくこのような突発性によって破られると考えられるような、そのような単線的連続ではないのであろう。故に所謂歴史的連続は、従って又既成性は、決してそれだけで歴史的なるものを支配することは出来ない。故に今問題が歴史的(社会的)であるというのは、問題が歴史的に与えられた既成的[#「既成的」に傍点]なものでなければならないというのでは少しもない。そうでないどころではなく、寧ろ問題らしい問題は、常に新たに――併し矢張り歴史的に――見出され発見されるものなのである。無論既成的問題
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