特に、生活に対して日常的[#「日常的」に傍点]な理論は、殆んど協調し難く見えるまでに、正面からの反対に出会うことが屡々であろう*。茲に於ては、理論の他の場合に於てとは異って、略々一定した予知し得べき軌道に於て反対が惹き起こされるとは限らない。却って既知の・既成の[#「既成の」に傍点]・軌道から見れば、全く思いも及ばないように見える方向から、反対が突発するのが寧ろ普通である。而もかかる突発的[#「突発的」に傍点]な方向が出発する起点は必ずしも直ぐ様突き止め得られるとは限らないから、当惑した論争は反対と反駁を繰り返している内に、その道筋が乱れ、理論は効果ある進展を止め、かくて論争は絶望的に旋回し始めるであろう。そこで云わば二つの力が衝突することによって起こったこの旋回運動を簡潔に解きほごす為めには、この運動を二つの相対的な分に分解し、そうすることによって、夫々の分をして相反するこの二つの理論を代理せしめる必要があるのである。そうすることによって初めてこの二つの理論の位置関係を、一つのものの他のものに対する態度を、決定することが出来る。かくしてのみ、前に突発的と見えた方向が基く処のかの起点は、初めて突き止められるのである。理論に於けるこの分を、人々は立場[#「立場」に傍点]と呼んでいる。
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* 理論は一定の視点に従って日常的な理論とそうではない理論とに区別される。夫々のものの一例として、法律学の理論と物理学の理論を挙げることが出来るであろう。日常的理論に就いてのみ今吾々は語ろうと思う。
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解き難く見えた理論の葛藤を、何か恐らく二つの立場に分解することによって、能く明快に解くことが出来ると人々は考える。多くの論争は立場の相違[#「立場の相違」に傍点]に還元[#「還元」に傍点]されることによって、一先ず片づけられるように見える。というのは、云わば論争の偶然な歩哨戦は、立場の決戦によって結末をつけられることとなるのである。論争をこのようにその主力にまで転化し得るには無論、特に優れて有力な理論的能力を必要とするであろう、この転化が成功した時、吾々はこの理論的能力の鋭さを賞讃しなければならない。併し立場と立場のこの「論理的決闘」に於て、勝敗を決することが、原理的に常に可能であるかどうか、それが今の吾々の疑問である。
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