いであろう*。且又それは瞑想や空想や又感傷的な理想を以てしても通達出来ないであろう。ただ社会的な関心に従いそして実践的な精神に於てのみ、時代の性格は感受し得られる。人々はかかる感受の能力を歴史的感覚[#「歴史的感覚」に傍点]と名づけるであろう。但し歴史的感覚とは、例えば歴史学的統一体としての所謂歴史に対する愛着でもなく、又神学的宇宙論と結び付いた世界の終局目的の信仰でもなくして正に、事物の歴史的運動の正常なる把握の能力であり、そして、ただ実践的社会的関心によってのみその機能を把握することが出来るような、そのような感覚であるのである。時代の性格は歴史的感覚によって――この正常なる実践的・社会的関心に於て――のみ把握出来る。時代の歴史的運動の動力と方向との必然性――それは社会に於て社会現象として展開せられる――を見出し見抜くものこそ歴史的感覚なのである。
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* 地方的眼界の下に立つために性格を把握し誤った虚偽は Provincialism――地方的錯誤――と呼ばれて好いであろう。之は時代錯誤に相関的である。
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併し吾々は最後の依り処を歴史的感覚の概念に託するからと云って、何か神秘的な能力に助けを求めているのではない。元来歴史的感覚は個人の性格にぞくする外はないが、個人の性格それ自身が時代の性格によって支配されており又されなければならなかった。そうすればこの能力は時代の歴史的運動それ自身によって必然にせられている筈である。というのは、個人が時代の歴史的運動――その内に個人は事実生活しているのである――に触れる時、即ち之と実践的[#「実践的」に傍点]に接触する時、忽ち必然にこの能力が機能しなければならないのである。――その成立の故郷は知られている、それは神秘ではない。事実、歴史的感覚とは正常なる・実践的なる・社会的関心以外の何ものでもない。
凡そ性格概念は、歴史的運動の概念へ関係づけられて初めて理解出来るということが、今や明らかとなった。要素的な意味に於ける歴史的運動は、従って又それを全体として展開して見せる社会は、例えば政治的[#「政治的」に傍点]動物として性格づけられる人間にとって、代表的な規定であるであろう。そして性格概念は恰も人間的な概念に外ならなかった――前を見よ。性格が実践的[#「実践的」に傍
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