の歴史的運動とそれではどう関係するのか。――個人の性格も亦時代の歴史的運動によって終局的に制約されなければならないであろう。何となれば個人は時代という歴史的全体に対する一つの歴史的部分であるが、個人の歴史的運動[#「歴史的運動」に傍点]――それは前の説明によれば個人を理解し又之を待遇することによって生ずる運動であった――は時代の夫に終局的に帰着しなければならない、そして個人の歴史的運動に寄与するものこそ個人の性格でなければならない筈だからである。この点に於て個人は事物と少しも異る処を有たないであろう。処が個人は事物と異ってその歴史的運動の自覚[#「自覚」に傍点]を有っている。そしてこの歴史的運動――それは自己解釈(自覚)乃至自己待遇(行為)として現われる――に寄与するものとして自己[#「自己」に傍点]の性格を意識しているのである。性格のこの自己意識によって個人の性格は何か任意な他から独立な自由として現われることが出来るのである。併しながら自覚されたる自己の性格は必ずしも真の性格ではないことを人々は注意しなければならないであろう。彼が一人の詩人として自己の性格を見出したということは、少しも彼が詩人としての性格の主であることを保証しない。彼の性格が詩人であるか無いかは、彼が詩人振って[#「振って」に傍点]自己解釈し乃至自己待遇する――個人の自覚されたる[#「されたる」に傍点]歴史的運動に寄与する――ことによって決定せられるのではなくして、却って他の人々が彼を詩人として理解するのを媒介として彼の特色を理解する――個人の自覚されざる[#「されざる」に傍点]歴史的運動に寄与する――ことによってのみ決定せられるのである。実際個人は自己の性格を自覚しようとすることによって、却って振る[#「振る」に傍点]ことが出来る危険をもつ。この危険をもたないためには彼は自己を公平に客観的に見なければならない。そして恰も之は他の人々が彼の性格に与える理解――但し無論正しい理解――との一致に外ならない。さてそうすれば人々は自己の性格を常に他の人々によって理解され又待遇された限りの性格と一致せしめなければならない道徳的任務を有っていることとなる。自己はその自由にも拘らず、否自由によってこそ、自己を単なる一つの事物と同じ資格をもつ一個人として理解し又待遇しなければならない*。自己[#「自己」に傍点]の
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