ェ、かくて問題がその客観性[#「客観性」に傍点]を失うことが、アカデミー化の虚偽であるのだから。――アカデミー化が非難されるのは、その難解の故ではなくして、正にこの虚偽の故にである。難解はかかる虚偽の副作用の一つに過ぎない。
アカデミー化・問題の伝習化・を可能にする条件は併し、無論アカデミー自身の存在の内に横たわる。まずそこには講壇[#「講壇」に傍点]が存在し、そして之が科学を講壇化[#「講壇化」に傍点]することが出来る(そこでは科学が講壇を決定するのでは必ずしもなく、逆に講壇が科学を決定するのだから)。即ち、講壇という社会的地位[#「社会的地位」に傍点]の特色が、科学的理論の構造の内に、反映され得るのである。講壇のその特色とは何か。アカデミー(講壇)は、その内部に於て社会的[#「社会的」に傍点]――社交的――であればある程、即ちその社会的位置を内部の交互作用によって確保すればする程、益々超社会的[#「超社会的」に傍点]となり、従って益々この超社会性を意識化・良心化・合法化・する、之がその特色なのである。かくて学界[#「学界」に傍点]は社会から独立化・孤立化して行かないわけには行かない。問題の高踏化・主観化はその結果であった。アカデミー化の虚偽はであるから、アカデミーそのものの存在の不幸の内に横たわる。
かくてアカデミー化はアカデミーの或る超社会性――従って又一応の超階級性[#「一応の超階級性」に傍点]――の結果であった。――処で科学の大衆化は科学の或る意味での階級化[#「階級化」に傍点]であった。その限り科学の大衆化とアカデミー化とは最も適切に対立するようである。併し、階級が対立物の概念である以上、一つの[#「一つの」に傍点]階級化は他の[#「他の」に傍点]階級化とこそ正面から対立すべき筈である。その限り科学の大衆化とアカデミー化との対立は、側面からの・間接な・二次的な・対立でしかない。
科学の大衆化[#「大衆化」に傍点]に正面から・直接に・一次的に・対立するものは寧ろ、科学のジャーナリズム化[#「ジャーナリズム化」に傍点]であるであろう。そして之が又実際、アカデミー化[#「アカデミー化」に傍点]に対しても正面の対立物であった。但し茲で云うジャーナリズム化は前の機会に於てとは異って、もはや科学の単なる報道化[#「報道化」に傍点]ではなく、報道の商品化[#「商
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