に制約せられるのである。例えば理論という特殊の歴史的内容の歴史的運動は社会全体の歴史的運動に終局に於て帰着して行かねばならぬ性質を持っている。理論の歴史的発展――運動――はそれ自身が特有な動力と形態とを有っているにも拘らず、社会の歴史的発展によって終極的に――直接にではない――限定されている。歴史的な全体と部分とは歴史的運動に於て特有に層を重ねた有機的連関を示す。――さて事物の性格は常に事物の歴史的運動に寄与しなければならない[#「事物の性格は常に事物の歴史的運動に寄与しなければならない」に傍点]。この寄与をなし得ないものは、たとい初めに性格らしいものとして掲げられたにしても、結局は性格としての資格を欠いたものに外ならなかったことが証明されるであろう。事物の歴史的運動とは併し、人々が実践的にこの事物を取り扱う――理論し又使用する――ことによって生まれる事物の運動の謂であった。之なくして行われる事物の運動は自然的運動であるかも知れないが歴史的運動ではなかった。そして事物のかかる実践的取り扱いに於てこそ初めて性格が機能し得たのであった。それ故結果から見るならば、性格は常に事物の歴史的運動に於て発生する。事物の歴史的運動の動力因子、それがその事物の性格であると云うことが出来る。処が事物――それは一つの歴史的部分である――の歴史的運動はそれがぞくする任意の歴史的全体の歴史的運動によって終局的に限定されている筈であった。それ故事物の性格はそのままこの歴史的全体の歴史的運動の動力因子でもなければならない。結果から見れば、性格は常に歴史的全体の歴史的運動に於て発生する。この結果を逆にして云うならば、事物の性格は常に歴史的全体の歴史的運動に寄与しなければならない[#「事物の性格は常に歴史的全体の歴史的運動に寄与しなければならない」に傍点]。この寄与をなし得る時、性格は性格であり、この寄与をなし得ない時、性格ではなかったのである。前の場合に於て性格は正しく[#「正しく」に傍点]把握され、後の場合に於てはそれは誤って[#「誤って」に傍点]把握される。事実、事物の或る性質を性格として――事物の歴史的運動の因子として――択ぶ時、もしこの歴史的運動が歴史的全体の運動からの制約を無視したものであるならば、たといこの性質が初めは事物の性格らしく想像されようとも、やがては終局[#「終局」に傍点]に
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