単に個人の意識――精神――ばかりではなくして、社会こそ正にこれである。何となれば、社会は現に論理的法則[#「論理的法則」に傍点]に従って――社会論理的に[#「社会論理的に」に傍点]――歴史に於て展開するのであるから。即ち社会的精神[#「社会的精神」に傍点]は模倣の法則及び発明の法則に従って運動するのであるから。否、更に根本的なことは、歴史社会的存在、事件それ自身が全く論理の過程そのものに外ならないということである。「国家は厳密に云って一つの複雑な三段論法と考えられることが出来る。」法律・国教などがこの三段論法の大前提であり、個々の人民・個々の事件・個々の状態等々がその小前提であり、そしてこの二つから結果した国家の歴史的諸運動がその帰結に外ならない*。社会自身が一つの論理である所以である。さてこのような社会的論理とは、とりも直さず個人的論理に対して組織的に虚偽の一定形態を与えるものであることを意味する。何となれば、タルドによれば社会的論理自身が初めから一つの根本的な虚偽――社会の虚偽性――に基くものと考え得られるから。蓋し社会の本質はタルドによれば模倣にある。模倣とは自己の独立を捨てて自らを他に渡すことであろう、それは自己の立脚地を忘れることであり、自己という地盤を遊離することである。地盤を遊離した存在は然るに、根柢[#「根柢」は底本では「根抵」]を欠いているという意味に於て、常に虚偽でなければならない。社会は根本的に云ってそれ自身一つの虚偽であり、真実なる自己――個人――からの堕落を意味する。であるからこの社会に於て存在する社会的論理は、理想としては無限に漸近線的に、個人的論理に近づいて行かなければならない当為を負わされている。真の論理[#「真の論理」に傍点]は個人的論理である。社会的論理は、それ自身虚偽[#「虚偽」に傍点]の論理[#「論理」に傍点]と考えられねばならない。かくて個人的論理に組織的に一定形態の虚偽を与えること自身が社会的論理という言葉の意味となって来る。社会の本質は個人的論理に社会論理的という一定形態の虚偽を原則的に与える処に、恰も成り立つのであった。タルドの思想を手懸りにすれば吾々は茲に来る。
[#ここから2字下げ、折り返して3字下げ]
* La logique sociale, p. 63 参照。
[#ここで字下げ終わり]

 吾々が現在有ってい
前へ 次へ
全134ページ中92ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
戸坂 潤 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング