はり内在的である[#「ある」に傍点]、ということである。それ故論理に於ては超越的批判が内在的批判に歴史上先立つ。内在的批判によって矛盾が発見されたが故に超越的批判が惹き起されたのではなく、予め超越的批判をなしたからそれが内在的批判となり得たのである。論理はその論理的矛盾を動機・動力として之を止揚するのではなくして、予め止揚の現実情に立つから初めて論理的矛盾を発見[#「発見」に傍点]する動機を得るのである。この動力はそれ故もはや論理にあるのではない、論理は自己自身に具った論理的矛盾を動力として運動するのではない。歴史社会的運動が先ず先立ち、この運動によって止揚者へ新しい問題[#「問題」に傍点]が提出され、この新しい問題を解き得ないものとして、初めて矛盾者が矛盾者として発見されるのである。論理的運動の動力は従って論理自身の内にではなくして歴史的運動の内に横たわる。論理的矛盾[#「論理的矛盾」に傍点]の動機は歴史社会的運動に於ける存在的矛盾[#「存在的矛盾」に傍点]の外ではない。論理的運動は歴史的運動の自己表現・反映である、かくして理論の歴史的推移は、論理的な批判[#「批判」に傍点]として理論内容へ反映する。没落的契機に於ける理論は、論理的矛盾を含む被批判性[#「被批判性」に傍点]――矛盾性[#「矛盾性」に傍点]――として、台頭的契機に於ける夫は之に反して、この矛盾を止揚する批判性[#「批判性」に傍点]として、夫々歴史的段階を一定の論理形態として反映する。蓋し批判とは歴史的運動に於ける二つの契機が相会する処の危機[#「危機」に傍点]の、論理的反映であるであろう。――理論のかの停滞性と展開性とは、今やかかるものとして現われるのである。それ故又問題選択[#「問題選択」に傍点]の可否は、理論のこのような一定の真偽形態として見出されるべき筈である。
 尤も又、被批判者の位置にあると考えられたもの、即ち被止揚者は、その被批判性を自覚しないのを寧ろ通則とするから、批判者に対して逆批判をなし得るように空想するのが常である。併し歴史的運動に逆行するかかる逆批判は元来批判ではなかった。そして実際、逆批判者は原理的に、批判者がもつ歴史的に必然な問題[#「問題」に傍点]に対して無知であることを注意しよう*。
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* 批判に当っては批判するものの批判者とし
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