の現実性[#「原理としての現実性」に傍点]を理解しないことに由来するであろう。
** 現在性は要するに優れて限定された質料性[#「質料性」に傍点]である。それ故歴史の現実性は他の関係に於て物質性[#「物質性」に傍点]となって現われることが出来る。
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往々にして過度に尊重され又は過度に軽視されるこの実践という概念を、或いは単に倫理的合言葉として、或いは単に実用主義的道具への交渉として、或いは単に利用厚生の仕方として、思い浮べてはならない。実際人々は単に意志的であることを、又は単に主知的でないことをさえ、軽々しく実践的と考えはしないであろうか。吾々の実践概念はそうではなくして歴史的運動の実現[#「歴史的運動の実現」に傍点]――歴史的変革――であった。この意味に於ける実践の最も優越なる形態は、政治[#「政治」に傍点]であるであろう(この言葉は現在充分の広さに於て行使されている)。何となれば、任意の事物に関する個人的行動が、苟くもその事物の歴史的変革に関係し得る時、それは必ず政治的意味を有つのであるから。――それ故歴史的現段階は今や、就中政治的[#「政治的」に傍点]なるものとして理解されるべきである。
前に帰ろう。論理形態を決定するものは社会であり、更にこの社会の形態を決定するものが歴史の現実性であった。そしてこの現実性が就中政治的であったのである。従って論理形態は政治的に決定される[#「論理形態は政治的に決定される」に傍点]わけである*。性格的論理――吾々が今論理と呼ぶのは常に之である(前を見よ)――は政治的性格[#「政治的性格」に傍点]を有つ。蓋し性格的論理の性格という言葉は、結局、就中この政治性を云い現わすのであった。茲では論理と政治とが一致する、理論[#「理論」に傍点]と実践[#「実践」に傍点]とが統一を得る所以である**。
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* 政治形態[#「政治形態」に傍点]が更に何によって決定[#「決定」に傍点]されるかは他の場合の問題としよう。――吾々は唯物史観[#「唯物史観」に傍点]を仮定して好い。
** 吾々は praktische Theorie, theoretische Praxis 等々の言葉をもつ(例えばディーツゲン前掲書を見よ)。
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[#3字下げ]三[#「三」は中
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