\の如何によって、原理的に[#「原理的に」に傍点]夫々異った軌道を歩むように出来ている場合があるのである*。――如何なる問題を把握すべきか、如何なる問題を如何に提出すべきか、という問題の選択[#「問題の選択」に傍点]は、であるから誤謬の訂正[#「誤謬の訂正」に傍点]という仕方によっては一義的に決定出来ない。このことが今明らかとなった。誤謬の訂正の代表的なるものは矛盾の排除[#「矛盾の排除」に傍点]・整合[#「整合」に傍点]であろう。問題把握の動機[#「動機」に傍点]は、矛盾の排除乃至整合の地盤である所謂分析論理と呼ばれている平面の上では、失われて了うと云うのである。理論に向って問題を提出するものは正に、歴史社会的存在の運動の必然性の外にはない、この必然性が初めて特定の歴史的段階に対して特定の問題を提出することが出来るのである**。
[#ここから2字下げ、折り返して3字下げ]
* 哲学的乃至歴史的諸科学――之を性格的諸科学と名づける理由がある――は凡て、この場合にぞくする。吾々が之から取り扱うものは専らこの諸科学に就いてである。
** 「問題に関する理論」に於て私はこの点を明らかにした。
[#ここで字下げ終わり]
そこで一つの疑問が残される。歴史的運動の必然性によって、甲の歴史的段階で問題甲が提出され、次の乙の歴史的段階で問題乙が提出され、かくて理論甲に理論乙が続いたとしよう。歴史的段階甲―乙と同じく、理論甲―乙も(問題甲―乙も)歴史的に連続する。理論甲が歴史的に理論乙へ運動したのである。併し之は理論の歴史的[#「歴史的」に傍点]連続ではあるが、直ぐ様それが、理論の理論的――特定の意味で論理的[#「論理的」に傍点]――連続であるのではない。それは理論が恐らく時代の推移と共に歴史的に[#「歴史的に」に傍点]変化したのではあったであろう、併しそれだけでは、後来の理論が従来の理論を論理的[#「論理的」に傍点]に如何に止揚し得たか、の説明にはまだならない。例えば一つの思想の或る意味での階級性を指摘することと、依って夫の虚偽性を指摘することとは、一応区別され得るが、今までの処では場合が前者に止っていてまだ後者への移り行きが説かれていなかった、と云うのである。残された疑問はであるから、次の課題を課する。
問題選択に於ける歴史的必然性[#「歴史的必然性」に傍点](従って乃至)遊
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