友達がノートを一生懸命で暗記する意義がどこにあるかと云うことを悟ったのである。なる程勉強はやはりこういうやり方でなくてはいけないのだなと思った。そして多分、勉強に限らず、一人前になってから研究するにも、こういうやり方が科学的なのだなと、私は初めて気がついた。私は科学的精神というものを実は初めて知ったと云ってもいいが、それよりも大事なことに、私はこの時以来、公式主義者(?)となったことである。と云うのは、それ以来私は、判り切った誰にとっても似たりよったりのガラクタを、自分が初めて発見したように勿体をつけて一つ一つ繰り返すという退屈なやり方を、軽蔑するような気運に向いて来たのである。つまり公式を一々証明するだけの時間で、公式を使ってもっと先の問題を解く方が真面目なのだというイデオロギーを有つようになったのだ。之専ら旧師竹内端三先生の賜である。
処が驚いたことには、それから二十年近く経った今日になると、判り切った公式を一々証明してかかるのを省略することが公式主義だった筈なのに、物ごとは逆になって来て、判り切った公式を一々証明してかかることが即ち公式主義だというようなことになって来た。そして公式主義は何より悪いものだということになって来た。それだけではない、公式を使って問題を解くことさえが、又やはり悪い公式主義であるという事になって来た。要するに悪いものは公式だということになって来た。つまり黒板の前に立往生した私も竹内教授から見れば公式主義なら、之に科学的訓誨を施した竹内教授も公式主義者だった、ということになるのである。要するに文学をやらずに数学などを黒板に出てやること自身が、抑々公式主義者だということになるのである。こうなると丁度、当時の私の心境が、最も公式主義から自由であったことになるわけで、二十年昔の、高等学校の文学青年時代にもう一遍立ち帰らざるを得ないということになって来たのだ。
公式などは糞くらえだ、手近かに身近かで、常識的で思いつきのもので、わが身の血肉から、身辺から、無茶苦茶に出発を試みればよいということになる。「思想」などは、あれは教室でおそわってノートに書き込んだものに過ぎない。「教養」だって要するにそんなものでしかない。黒板の前に出たら、他人の認識上の迷惑などに関係なく、気の済むように自分自身を納得させさえすればいいように、誰も彼も身辺のABCから論
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