して、弾《だん》は弾と空中に相うって爆発し、海は間断なく水柱をけ上げて煮えかえらんとす。
「愉快! 定遠が焼けるぞ!」かれたる声ふり絞りて分隊長は叫びぬ。
煙の絶え間より望めば、黄竜旗《こうりょうき》を翻せる敵の旗艦の前部は黄煙渦まき起こりて、蟻《あり》のごとく敵兵のうごめき騒ぐを見る。
武男を初め砲員一斉に快を叫びぬ。
「さあ、やれ。やっつけろッ!」
勢い込んで、砲は一時に打ち出《いだ》しぬ。
左右より夾撃《きょうげき》せられて、敵の艦隊はくずれ立ちたり。超勇はすでにまっ先に火を帯びて沈み、揚威はとくすでに大破して逃《のが》れ、致遠また没せんとし、定遠火起こり、来遠また火災に苦しむ。こらえ兼ねし敵艦隊はついに定遠鎮遠を残して、ことごとくちりぢりに逃げ出《いだ》しぬ。わが先鋒隊はすかさずそのあとを追いぬ。本隊五艦は残れる定遠鎮遠を撃たんとす。
第四回の戦い始まりぬ。
時まさに三時、定遠の前部は火いよいよ燃えて、黄煙おびただしく立ち上れど、なお逃《のが》れず。鎮遠またよく旗艦を護して、二大鉄艦|巍然《ぎぜん》山のごとくわれに向かいつ。わが本隊の五艦は今や全速力をもって敵の周囲を駛《は》せつつ、幾回かめぐりては乱射し、めぐりては乱射す。砲弾は雨のごとく二艦に注ぎぬ。しかも軽装快馬のサラセン武士が馬をめぐらして重鎧《じゅうがい》の十字軍士を射るがごとく、命中する弾丸多くは二艦の重鎧にはねかえされて、艦外に破裂し終わりつ。午後三時二十五分わが旗艦松島はあたかも敵の旗艦と相並びぬ。わがうち出す速射砲弾のまさしく彼が艦腹に中《あた》りて、はねかえりて花火のごとくむなしく艦外に破裂するを望みたる武男は、憤りに堪《た》え得ず、歯をくいしばりて、右の手もて剣の柄《つか》を破《わ》れよと打ちたたき、
「分隊長、無念です。あ……あれをごらんなさい。畜生《ちくしょう》ッ!」
分隊長は血眼《ちまなこ》になりて甲板を踏み鳴らし
「うてッ! 甲板をうて、甲板を! なあに! うてッ!」
「うてッ!」武男も声ふり絞りぬ。
歯をくいしばりたる砲員は憤然として勢い猛《たけ》く連《つる》べ放《う》ちに打ち出《いだ》しぬ。
「も一つ!」
武男が叫びし声と同時に、霹靂《へきれき》満艦を震動して、砲台内に噴火山の破裂するよと思うその時おそく、雨のごとく飛び散る物にうたれて、武男はどうと倒れぬ。
敵艦の発《う》ち出《いだ》したる三十サンチの大榴弾《だいりゅうだん》二個、あたかも砲台のまん中を貫いて破裂せしなり。
「残念ッ!」
叫びつつはね起きたる武男は、また尻居《しりい》にどうと倒れぬ。
彼は今|体《たい》の下半におびただしき苦痛を覚えつ。倒れながらに見れば、あたりは一面の血、火、肉のみ。分隊長は見えず。砲台は洞《ほら》のごとくなりて、その間より青きもの揺らめきたり。こは海なりき。
苦痛と、いうべからざるいたましき臭《か》のために、武男が目は閉じぬ。人のうめく声。物の燃ゆる音。ついで「火災! 火災! ポンプ用意ッ!」と叫ぶ声。同時に走《は》せ来る足音。
たちまち武男は手ありてわれをもたぐるを覚えつ。手の脚部に触るるとともに、限りなき苦痛は脳頂に響いて、思わず「あ」と叫びつつのけぞり――紅《くれない》の靄《もや》閉ざせる目の前に渦まきて、次第にわれを失いぬ。
二の一
大本営所在地広島においては、十|月《げつ》中旬、第一師団はとくすでに金州半島に向かいたれど、そのあとに第二師団の健児広島狭しと入り込み来たり、しかのみならず臨時議会開かれんとして、六百の代議士続々東より来つれば、高帽《こうぼう》腕車《わんしゃ》はいたるところ剣佩《はいけん》馬蹄《ばてい》の響きと入り乱れて、維新当年の京都のにぎあいを再びここ山陽に見る心地《ここち》せられぬ。
市の目ぬきという大手町《おおてまち》通りは「参謀総長宮殿下」「伊藤内閣総理大臣」「川上陸軍中将」なんどいかめしき宿札うちたるあたりより、二丁目三丁目と下がりては戸ごとに「徴発ニ応ズベキ坪数○○畳、○間」と貼札《はりふだ》して、おおかたの家には士官下士の姓名兵の隊号|人数《にんず》を記《しる》せし紙札を張りたるは、仮兵舎《バラック》にも置きあまりたる兵士の流れ込みたるなり。その間には「○○酒保事務所」「○○組人夫事務取扱所」など看板新しく人影の忙《せわ》しく出入りするあれば、そこの店先にては忙《いそが》わしくラムネ瓶《びん》を大箱に詰め込み、こなたの店はビスケットの箱山のごとく荷造りに汗を流す若者あり。この間を縫うて馬上の将官が大本営の方《かた》に急ぎ行きしあとより、電信局にかけつくるにか鉛筆を耳にさしはさみし新聞記者の車を飛ばして過ぐる、やがて鬱金木綿《うこんもめん》に包みし長刀と革
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