したのですよ。
 そうするうちに、良人も陸軍に召し出さるるようになって、また箱根をこえて、もう東京ですね、その東京に帰ったのが、さよう、明治五年の春でした。その翌春良人は洋行を命ぜられましてね。朝夕《ちょうせき》の心配はないようになったのですが、姑《しゅうと》の気分は一向に変わりませず――それはいいのでございますが、気にかかる父の行くえがどうしてもわかりません。
 良人が洋行しましたその秋、ひどい雨の降る日でしたがね、小石川の知己《しるべ》までまいって、その家《うち》で雇ってもらった車に乗って帰りかけたのです。日は暮れます、ひどい雨風で、私は幌《ほろ》の内《うち》に小さくなっていますと、車夫《くるまや》はぼとぼとぼとぼと引いて行きましょう、饅頭笠《まんじゅうがさ》をかぶってしわだらけの桐油合羽《とうゆがっぱ》をきているのですが、雨がたらたらたらたら合羽から落ちましてね、提灯《ちょうちん》の火はちょろちょろ道の上に流れて、車夫《くるまや》は時々ほっほっ太息《といき》をつきながら引いて行くのです。ちょうど水道橋にかかると、提灯がふっと消えたのです。車夫《くるまや》は梶棒《かじぼう》をおろして、奥様、お気の毒ですがその腰掛けの下にオランダ付け木(マッチの事ですよ)がはいっていますから、というのでしょう。風がひどいのでよくは聞こえないのですがその声が変に聞いたようでね、とやこうしてマッチを出して、蹴込《けこ》みの方に向いてマッチをする、その火光《あかり》で車夫《くるまや》の顔を見ますと、あなた、父じゃございませんか」
 老婦人がわれにもあらず顔打ちおおいぬ。浪子は汪然《おうぜん》として泣けり。次の間にも飲泣《いきすすり》の声聞こゆ。

     五の三

 目をぬぐいて、老婦人は語り続けぬ。
 「同じ東京にいながら、知らずにいればいられるものですねエ。それから父と連れ立って、まあ近くの蕎麦屋《そばや》にまいりましてね、様子を聞いて見ますと、上野の落ちた後は諸処方々を流浪《るろう》して、手習いの先生をしたり、病気したり、今は昔の家来で駒込《こまごめ》のすみにごくごく小さな植木屋をしているその者にかかッて、自身はこう毎日貸し車を引いているというのでございますよ。うれしいやら、悲しいのやら、情けないのやら、込み上げて、ろくに話もできないのです。それからまあその晩は父に心づけられて
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