やかなれば、見たる所は目より鼻にぬけるほど華手《はで》には見えねど、不なれながらもよくこちの気を飲み込みて機転もきき、第一心がけの殊勝なるを、図に乗っては口ぎたなくののしりながら、心の底にはあの年ごろでよく気がつくと暗に白状せしこともありしが、今目の前に同じ年ごろのお豊を置きて見れば、是非なく比較はとれて、事ごとに思うまじと思う人を思えるなり。されば日々《にちにち》気にくわぬ事の出《い》で来るごとに、春がすみの化けて出《い》でたる人間の名をお豊と呼ばれて目は細々と口も閉じあえずすわれるかたわらには、いつしか色少し蒼《あお》ざめて髪黒々としとやかなる若き婦人《おんな》の利発らしき目をあげてつくづくとわが顔をながめつつ「いかがでございます?」というようなる心地《ここち》して武男が母は思わずもわななかれつ。「じゃって、病気をすっがわるかじゃなっか」と幾たびか陳弁《いいわけ》すれど、なお妙に胸先《むなさき》に込みあげて来るものを、自己《おのれ》は怒りと思いつつ、果てはまた大声あげて、お豊に当たり散らしぬ。
されば、広島の旗亭に、山木が田崎に向かいて娘お豊を武男が後妻《こうさい》にとおぼろげならず言い出《い》でしその時は、川島未亡人とお豊の間は去る六|月《げつ》における日清《にっしん》の間よりも危うく、彼出《いだ》すか、われ出《い》づるか、危機はいわゆる一髪にかかりしなりき。
三の一
枕《まくら》べ近き小鳥の声に呼びさまされて、武男は目を開きぬ。
ベッドの上より手を伸ばして、窓かけ引き退《の》くれば、今向こう山を離れし朝日花やかに玻璃窓《はりそう》にさし込みつ。山は朝霧なお白けれど、秋の空はすでに蒼々《あおあお》と澄み渡りて、窓前一樹染むるがごとく紅《くれない》なる桜の梢《こずえ》をあざやかに襯《しん》し出《いだ》しぬ。梢に両三羽の小鳥あり、相語りつつ枝より枝におどれるが、ふと言い合わしたるように玻璃窓のうちをのぞき、半身をもたげたる武男と顔見合わし、驚きたって飛び去りし羽風《はかぜ》に、黄なる桜の一葉ばらりと散りぬ。
われを呼びさませし朝《あした》の使いは彼なりけるよと、武男はほほえみつ、また枕につかんとして、痛める所あるがごとくいささか眉《まゆ》をひそめつ。すでにしてようやく身をベッドの上に安んじ、目を閉じぬ。
朝《あした》静かにして、耳わずらわす
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