魚《さかな》だな、鮎《あゆ》でもなしと……」
「山女《やまめ》とか申しましたっけ――ねエばあや」
「そう? うまい、なかなかうまい、それお代わりだ」
「ほほほ、旦那様のお早うございますこと」
「そのはずさ。今日は榛名《はるな》から相馬《そうま》が嶽《たけ》に上って、それから二《ふた》ツ嶽《だけ》に上って、屏風岩《びょうぶいわ》の下まで来ると迎えの者に会ったんだ」
「そんなにお歩き遊ばしたの?」
「しかし相馬が嶽のながめはよかったよ。浪さんに見せたいくらいだ。一方は茫々《ぼうぼう》たる平原さ、利根《とね》がはるかに流れてね。一方はいわゆる山また山さ、その上から富士がちょっぽりのぞいてるなんぞはすこぶる妙だ。歌でも詠《よ》めたら、ひとつ人麿《ひとまろ》と腕っ比べをしてやるところだった。あはははは。そらもひとつお代わりだ」
「そんなに景色《けしき》がようございますの。行って見とうございましたこと!」
「ふふふふ。浪さんが上れたら、金鵄《きんし》勲章をあげるよ。そらあ急嶮《ひど》い山だ、鉄鎖《かなぐさり》が十本もさがってるのを、つたって上るのだからね。僕なんざ江田島《えたじま》で鍛い上げたからだで、今でもすわというとマストでも綱《リギング》でもぶら下がる男だから、何でもないがね、浪さんなんざ東京の土踏んだ事もあるまい」
「まあ、あんな事を」にっこり顔をあからめ「これでも学校では体操もいたしましたし――」
「ふふふふ。華族女学校の体操じゃ仕方がない。そうそう、いつだっけ、参観に行ったら、琴だか何だかコロンコロン鳴ってて、一方で『地球の上に国という国《くうに》は』何とか歌うと、女生《みんな》が扇を持って起《た》ったりしゃがんだりぐるり回ったりしとるから、踊りの温習《さらい》かと思ったら、あれが体操さ! あはははは」
「まあ、お口がお悪い!」
「そうそう。あの時山木の女《むすめ》と並んで、垂髪《おさげ》に結《い》って、ありあ何とか言ったっけ、葡萄色《ぶどういろ》の袴《はかま》はいて澄ましておどってたのは、たしか浪さんだっけ」
「ほほほほ、あんな言《こと》を! あの山木さんをご存じでいらっしゃいますの?」
「山木はね、うちの亡父《おや》が世話したんで、今に出入りしとるのさ。はははは、浪さんが敗北したもんだから黙ってしまったね」
「あんな言《こと》!」
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