も眩《くら》まんとする時、こゝに活ける水の泉あり、滾々《こん/\》として岩間より湧き出づ。
 嬉しさは言《ことば》に尽し難し。水なるかな、水ありて緑あり、水は咽《のんど》を湿《うるほ》し、緑は眼を潤す。水ありて、人あり、獣あり、村をなす。水なるかな、ヨハネが生命《いのち》の川の水を夢み、熱砂に育ちしマホメツトの天国が四時《しゞ》清水流れ果樹実を結ぶ処なるも、宜《うべ》なるかな。自然の乳房に不尽の乳を満たせし者に永遠《とこしへ》に光栄《ほまれ》あれよ。

    エニンの夕

 ドタンより丘を越えてカバチエーに到る。パレスタイン第一の橄欖林《かんらんりん》あり。皆古木。何千株なるを知らず。橄欖の実は九月に熟す。生食《せいしよく》し、塩蔵し、オリーブ油を製し、また石鹸《しやぼん》の原料となる。
 これより始終谷を下り、日没|椶櫚《しゆろ》生《お》ふるエニンに到り、独逸《どいつ》人のホテルに投ず。今日は終日サマリヤの山を行けるなり。行程わづかに七里余。
 エニンは昔のエンガンニム、海抜約六百五十|呎《フイート》、人口二千|左右《さう》の小邑《せういふ》、サマリヤの山尽き下《しも》ガリラヤの平原起る所の境《さかひ》にあり。ホテルの窓より眺むれば、展望幾重、紫嵐《しらん》を凝《こら》すカルメル山脈の上、金を流せる入日《いりひ》の空を点破して飛鳥遥にナザレの方を指す。
 明星の夕《ゆふべ》はやがて月の夜となりぬ。ホテルの下に泉あり。清冽の水滾々と湧き、小川をなして流る。甕の婦人来り、牧夫来り、牛《ぎう》、羊《やう》、驢《ろ》、馬《ば》、駱駝《らくだ》、首さしのべて月下に飲む。
 再び称へむ、水なるかな、水なるかな。

    エズレルの平原

 六日。今日はナザレに着く日なり。朝六時|欣々《きん/\》として馬に上る。漸く馴れて馬上も比較的楽になりぬ。
 エルサレムよりサマリヤを経て一路エニンに到る迄、常に山上、または峡谷を過ぎて来り、エニンより一歩北すれば忽《たちま》ち下《しも》ガリラヤの野、パレスタイン第一のエズレル平原、またの名エスドレロン平原に下りぬ。エニンを出でゝ三十分ならず、行手の山の上|分明《ふんみやう》に白き邑《むら》を見る。あれは何と云ふ邑ぞ。あれこそナザレに候、と案内者が答ふる言葉の下より吾心《わがむね》は雀の如く躍りぬ。あゝあれがナザレか。父母に伴はれてエルサレムよりの帰るさ、弟子を伴ふてユダヤよりの帰途、基督《きりすと》は如何に其なつかしき、つれなき程|猶《なほ》なつかしき其ふるさとをば眺め玉ひけむ。おゝあれがナザレか、近いかなナザレ。否《いや》、近く見えても、あれでも一八九|哩《マイル》は候、と案内者は制す。
 此大平原は、北はナザレ一帯|上《かみ》ガリラヤの連山、南はサマリヤの連山、東はキルボア山、小ヘルモン山、西はカルメル山脈に囲繞《ゐねう》されたるほゞ三角形の盆地にて、南北の最長約七里、東西の最長十一二里もあらん。地中海面より低きこと二百五十|呎《フイート》、乾ける湖の如く、一面麦熟れて黄金《こがね》の氈《せん》を敷く。パレスタインに来りて今日初めて平野を見、黒土の土らしき土を見る。麦は畝《うね》なしのばら蒔き、肥料を施さずしてよく出来たり。地味の豊饒思ふべし。春は野の花夥しく咲くと聞く。今はツユ葵《あをい》、矢車、野しゆん菊、野《の》人参《にんじん》の類のみ。
 当面は新約、三方は旧約の古跡に包まれたる此平原はおのづから是れ古今《ここん》の戦場、十字軍がサラヂンの為に大敗をとりたるも此処なりき。

    古跡より古跡

 露の朝日をあたら馬蹄に散らしつゝ、やがてギルボア山に到る。是れサウル、ヨナタンのペリシテ人と戦ふて討死《うちじに》せし処、多恨のダビデが歌ふて「ギルボアの山よ、願はくは汝の上に雨露《あめつゆ》降ることあらざれ、亦|供物《そなへもの》の田園《はた》もあらざれ、其《そ》は彼処《かしこ》に勇士の干棄《たてす》てらるればなり」と哭《こく》せし山也。昔は樹木ありしと云ふも、今は赭禿の山海抜千六七百尺に過ぎず。此山の夷《ゐ》して平原に下《くだ》る所はエズレルの跡《あと》也。曾てイスラエルの王アハブが隣の民の葡萄園を貪り、后《こう》イゼベル夫の為に謀《はか》つて其民を殺して葡萄園を奪ひ、其|報《むくい》としてイゼベルは後王宮の窓より投落《なげおと》され、犬其肉を食《くら》ひしと伝へらるゝ所。今は土小屋七八立てるのみ。ほとりにふるき酒槽《さかふね》の跡あり。
 エズレルの跡を見て山を北へ下れば、平原の余波はギルボア小ヘルモン両山の間を東へ走りて、ヨルダンの谷に到る。ギルボアの北麓には、ギデオンがメデア人を撃ちし時、水を飲ませてイスラエルの勇士をすぐりし泉の跡ありと、案内者は遥に山下《さんか》の一所を指しぬ。やがて鉄道線路を横ぎる。此はダマスコよりカルメル山下のハイフア港へ通ふもの、ヱスドレロン平原を東西に横断す。
 馬は傾斜をのぼりて小ヘルモン山南のシユネムの跡に到る。旧約にモレの山とあるは此小ヘルモンなるべしと云ふ。高さはギルボアと伯仲《はくちゆう》の間なり。シユネムはギルボアのサウルに対してペリシテ人の陣せし所、双方の間は小銃の戦《いくさ》も出来可《でくべ》き程に近く思はる。此処はまた預言者エリシヤが敬虔なる婦人の歓待を受け、後其子を死より復活せしめしと伝ふる所。今は夥しく茂れる覇王樹《しやぼてん》に囲繞されし十戸足らずの寒村なり。此処に三人抱程の素晴しき無花果の大木三本あり。三頭の馬を其一本に繋ぎ、余等三人は他の一本の下に毛布を敷いて坐し、昼食《ちうじき》午眠《ひるね》して午《ご》の前後四時間を此無花果樹下に費しぬ。小指の頭程の青き果《み》ヒシと生《な》れるを、小鳥は上よりつゝき、何処《どこ》も変わらぬ村の子供等下よりタヽき落して食《くら》ふ。

    ナザレへ

 午後二時無花果樹下を出でて再び馬に上り、小ヘルモン山の麓を北へ越えてナザレを指《さ》す。小ヘルモンの北麓、麦の穂末に平たき屋根の七八つあらはれたる孤村《こそん》は、基督の寡婦の子を蘇らし玉ひしと云ふナインの村なり。頭《かしら》円《まる》くして形優美なるタボルの山も東に近く見ゆ。今日過ぐる所は、すべて旧約の士師記《しゝき》、列王紀略上下、サムエル書上下等に関する名所旧蹟に満ちたる地なり。
 畑中の一堆《いつたい》邱《きう》に土造の穀物納屋の立ちたるを聖書の画見る心地にをかしと見つゝ、やがてナザレの山麓に到る。石だらけの山坂路《やまさかみち》、電光形に上りて行く。右手に険崖|矗立《ちくりつ》せる所を陥擠山《かんせいざん》と呼び、ナザレ人等が基督を擠《おしおと》さんとせし所と伝ふ。やゝしばし上りて山上の坦《たい》らなる道となり、西することしばらくにして、山上の凹みに巣くへる白き家と緑と錯綜せるナザレの邑《むら》顕《あら》はれ出づ。
 午後四時過※[#濁点付き片仮名ヰ、1−7−83]クトリア・ホテルの前に馬を下る。今日の行程七里。エルサレムよりナザレまで約二十七里。急げば二日|路《ぢ》。



底本:「日本の名随筆 別巻21 巡礼」作品社
   1992(平成4)11月25日第1刷発行
入力:斎藤由布子
校正:noriko saito
2007年1月3日作成
青空文庫作成ファイル:
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