、手桶と大きなバケツトを両手に提げて、霜を踏んで流れに行く。顔を洗ふ。腰膚《こしはだ》ぬいで冷水摩擦をやる。日露戦争の余炎《ほとぼり》がまださめぬ頃で、面籠手《めんこて》かついで朝稽古から帰つて来る村の若者が「冷たいでしやう」と挨拶することもあつた。摩擦を終つて、膚を入れ、手桶とバケツトをずンぶり流れに浸して満々と水を汲み上げると、ぐいと両手に提げて、最初一丁が程は一気に小走りに急いで行く。耐《こら》へかねて下ろす。腰而下《こしからした》の着物はずぶ濡れになつて、水は七分に減つて居る。其れから半丁に一休《ひとやすみ》、また半丁に一憩《ひといこひ》、家《うち》を目がけて幾休《いくやす》みして、やつと勝手に持ち込む頃は、水は六分にも五分にも減つて居る。両腕はまさに脱ける様だ。斯くして持ち込まれた水は、細君《さいくん》女中《ぢよちう》によつて金漿《きんしやう》玉露《ぎよくろ》と惜み/\使はれる。
余《あま》り腕が痛いので、東京に出たついでに、渋谷の道玄坂で天秤棒を買つて帰つた。丁度股引尻からげ天秤棒を肩にした姿を山路愛山君《やまぢあいざんくん》に見られ、理想を実行すると笑止な顔で笑はれた。買つて戻つた天秤棒で、早速翌朝から手桶とバケツトを振り分けに担《にな》うて、汐汲みならぬ髯男の水汲みと出かけた。両手に提げるより幾何《いくら》か優《まし》だが、使ひ馴れぬ肩と腰が思ふ様に言ふ事を聴いてくれぬ。天秤棒に肩を入れ、曳《えい》やつと立てば、腰がフラ/\する。膝はぎくりと折れさうに体《からだ》は顛倒《ひつくりかへ》りさうになる。※[#「くちへん+云」、第3水準1−14−87、47−2]《うん》と足を踏みしめると、天秤棒が遠慮《ゑんりよ》会釈《ゑしやく》もなく肩を圧しつけ、五尺何寸其まゝ大地に釘づけの姿だ。思ひ切つて蹌踉《よろ/\》とよろけ出す。十五六歩よろけると、息が詰まる様で、たまりかねて荷を下ろす。尻餅《しりもち》舂《つ》く様に、捨てる様に下ろす。下ろすのではない、荷が下りるのである。撞《どす》と云ふはづみに大切の水がぱつとこぼれる。下ろすのも厄介だが、また担ぎ上げるのが骨だ。路《みち》の二丁も担《かつ》いで来ると、雪を欺く霜の朝でも、汗が満身に流れる。鼻息は暴風《あらし》の如く、心臓は早鐘をたゝく様に、脊髄《せきずゐ》から後頭部にかけ強直症《きやうちよくしやう》にでもかゝ
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