ん》の影も無く、茶博士《さはかせ》も居ない。弓弭《ゆはづ》の清水《しみづ》を掬《むす》んで、弓かけ松の下に立つて眺める。西は重疊《ちようでふ》たる磐城《いはき》の山に雲霧白く渦まいて流れて居る。東は太平洋、雲間漏る夕日の鈍い光を浮べて唯とろりとして居る。鰹舟《かつをぶね》の櫓拍子が仄かに聞こえる。昔奧州へ通ふ濱街道は、此山の上を通つたのか。八幡太郎も花吹雪の中を馬で此處を通つたのか。歌は殘つて、關の址と云ふ程の址はなく、松風ばかり颯々と吟じて居る。人の世の千年は實に造作もなく過ぎて了ふ。茫然と立つて居ると、苅草を背一ぱいにゆりかけた馬を追うて、若い百姓が二人峠の方から下りて來て、余等の前を通つて、また向の峯へ上つて往つた。
日の暮に平潟《ひらがた》の宿に歸つた。湯はぬるく、便所はむさく、魚は鮮《あたら》しいが料理がまづくて腥く、水を飮まうとすれば潟臭《かたくさ》く、加之《しかも》夥しい蚊が眞黒にたかる。早々蚊帳に逃げ込むと、夜半に雨が降り出して、頭の上に漏つて來るので、遽《あわ》てゝ床を移すなど、わびしい旅の第一夜であつた。
淺蟲
九月九日から十二日まで、奧州|淺蟲《あさむし》温泉滯留。
背後《うしろ》を青森行の汽車が通る。枕の下で、陸奧灣《むつわん》の緑玉潮《りよくぎよくてう》がぴた/\言《ものい》ふ。西には青森の人煙|指《ゆびさ》す可く、其|背《うしろ》に津輕富士の岩木《いはき》山が小さく見えて居る。
青森から藝妓連《げいしやづれ》の遊客が歌うて曰く、一夜添うてもチマはチマ。
五歳《いつゝ》の鶴子初めて鴎を見て曰く、阿母《おかあさん》、白い烏が飛んで居るわねえ。
旅泊のつれ/″\に、濱から拾うて來た小石で、子供一人|成人《おとな》二人でおはじきをする。余が十歳の夏、父母に伴はれて舟で薩摩境の祖父を見舞に往つた時、唯《たつた》二十五里の海上を、風が惡くて天草の島に彼此十日も舟がかりした。昔話も聞き盡し、永い日を暮らしかねて、六十近い父と、五十近い母と、十歳の自分で、小石を拾うておはじきをした。今日不器用な手に小石を數へつゝ、不圖其事を思ひ出した。
海岸を歩けば、帆立貝の殼が山の如く積んである。淺蟲で食つたものの中で、帆立貝の柱の天麩羅はうまいものであつた。海濱隨處に※[#「王+攵」、第3水準1−87−88]瑰《まいくわい》の花が紫に咲き亂
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