黄なる小菊の様に可憐な花をしながら、蔓延又蔓延、糸の様な蔓は引けば直ぐ切れて根を残し、一寸の根でも残れば十日とたゝずまた一面の草になる。土深く鍬を入れて掘り返えし、丁寧に根を拾う外に滅《ほろぼ》す道は無い。我儕は世を渡りて往々此種の草に出会う。
 草を苅るには、朝露の晞《かわ》かぬ間《ま》。露にそぼぬれた寝ざめの草は、鎌の刃を迎えてさく/\切れて行く。一挙に草を征伐するには、夏の土用《どよう》の中、不精鎌《ぶしょうがま》と俗に云う柄《え》の長い大きなカマボコ形の鎌で、片端からがり/\掻《か》いて行く。梅雨中《つゆうち》には、掻く片端からついてしまう。土用中なら、一時間で枯れて了う。
 夏草は生長猛烈でも、気をつけるから案外制し易い。恐ろしいのは秋草である。行末短い秋草は、種がこぼれて、生えて、小さなまゝで花が咲いて、直ぐ実になる。其|遽《あわただ》しさ、草から見れば涙である。然し油断してうっかり種をこぼされたら、事である。一度落した草の種は中々急に除《と》り切れぬ。田舎を歩いて、奇麗に鍬目《くわめ》の入った作物のよく出来た畑の中に、草が茂って作物の幅《はば》がきかぬ畑を見ることがある。昨年の秋、病災《びょうさい》不幸《ふこう》などでつい手が廻らずに秋草をとらなかった家の畑である。
 草を除《と》ろうよ。草を除ろうよ。
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     不浄

       上

 此辺の若者は皆東京行をする。此辺の「東京行」は、直ちに「不浄取《ふじょうと》り」を意味する。
 東京を中心として、水路は別、陸路五里四方は東京の「掃除《そうじ》」を取る。荷車を引いて、日帰りが出来る距離である。荷馬車もあるが、九分九厘までは手車である。ずッと昔は、細長い肥桶《こえおけ》で、馬に四桶附け、人も二桶|担《にな》って持って来たが、後、輪の大きい大八車で引く様になり、今は簡易な荷車になった。彼の村では方角上大抵四谷、赤坂が重《おも》で、稀には麹町まで出かけるのもある。弱い者でも桶の四つは引く。少し力がある若者は、六つ、甚しいのは七つも八つも挽く。一桶の重量十六貫とすれば、六桶も挽けば百貫からの重荷《おもに》だ。あまり重荷を挽くので、若者の内には眼を悪くする者もある。
 股引草鞋、夏は経木真田の軽い帽、冬は釜底《かまぞこ》の帽《ぼう》を阿弥陀《あみだ》にかぶり、焦茶《こげちゃ》毛糸の襟巻、中には樺色の麁《あら》い毛糸の手袋をして、雨天には簑笠姿《みのかさすがた》で、車の心棒に油を入れた竹筒《たけづつ》をぶらさげ、空の肥桶の上に、馬鈴薯《じゃがいも》、甘薯《さつまいも》の二籠三籠、焚付《たきつけ》疎朶《そだ》の五把六束、季節によっては菖蒲《あやめ》や南天小菊の束なぞ上積にした車が、甲州街道を朝々幾百台となく東京へ向うて行く。午後になると帰って来る。両腕に力を入れ、前俛《まえかが》みになって、揉《も》みあげに汗《あせ》の珠《たま》をたらして、重そうに挽いて帰って来る。上荷には、屋根の修繕に入用のはりがねの二巻三巻、棕櫚縄《しゅろなわ》の十束二十束、風呂敷かけた遠路籠の中には、子供へみやげの煎餅の袋も入って居よう。かみさんの頼んだメリンスの前掛も入って居よう。或は娘の晴着の銘仙も入って居よう。此辺の女は大抵留守ばかりして居て、唯三里の東京を一生見ずに死ぬ者もある。娘の婚礼着すら男親が買うことになって居る。「阿爺《おとッつぁん》、儂《おら》ァ此《この》縞《しま》ァ嫌《やァ》だ」と、毎々|阿娘《おむす》の苦情が出る。其等の車が陸続として帰って来る。東京場末の飯屋《めしや》に寄る者もあるが、多くは車を街道に片寄せて置いて、木蔭《こかげ》で麦や稗《ひえ》の弁当をつかう。夏の日ざかりには、飯を食うたあとで、杉の木蔭に※[#「鼻+句」、第4水準2−94−72]々《ぐうぐう》焉と寝て居る。荷が重いか、路が悪い時は、弟や妹が中途まで出迎えて、後押して来る。里道にきれ込むと、砂利も入って居らぬ路はひどくぬかるが、路が悪い悪いとこぼしつゝ、格別路をよくしようともせぬ。其様な暇も金も無いのである。
 甲州街道の新宿出入口は、町幅が狭い上に、馬、車の往来が多いので、時々肥料車が怪我《けが》をする。帰りでも晩《おそ》いと、気が気でなく、無事な顔見るまでは心配でならぬと、村の婆さんが云うた。水の上を憂うる漁師の妻ばかりではない。平和な農村にも斯様な行路難《こうろだん》がある。
 東京|界隈《かいわい》の農家が申合せて一切下肥を汲まぬとなったら、東京は如何様《どんな》に困るだろう。彼が東京住居をして居た時、ある日|隣家《となり》の御隠居《ごいんきょ》婆《ばあ》さんが、「一ぱいになってこぼるゝ様になってるものを、せっせと来てくれンじゃ困るじゃないか」と疳癪声《かんしゃくごえ》で百姓を叱る
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