てゝ薄桃色に禿《は》げた※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]冠山を眺め、湖水の括《くく》れて川となるあたりに三上山《みかみやま》の蜈蚣《むかで》が這《は》い渡る様な瀬田の橋を眺め、月の時を思うて良《やや》久《ひさ》しく立去りかねた。
秋の日は用捨なく傾《かたむ》いた。今夜は宇治ときめたので、余等は山を下ると、川畔《かわばた》の宿にも憩《いこ》わず、車を雇うた。二人乗《ににんのり》が二台。最早上方でなければ滅多に二人乗は見られぬ。姉妹は生れてはじめてである。
姉妹を乗せた車は先きに、余等三人を乗せた車は之につゞいて、瀬田川《せたがわ》の岸に沿《そ》いつゝ平な道を馬場の方へ走る。日は入りかけて、樺色《かばいろ》に※[#「「燻」の「火」に代えて「日」」、第3水準1−85−42]《くん》じた雲が一つ湖天に浮《う》いて居る。湖畔の村々には夕けぶりが立ち出した。鴉《からす》が鳴く。粟津《あわづ》に来た時は、並樹の松に碧《あお》い靄《もや》がかゝった。
「此れがねえ、木曾《きそ》義仲《よしなか》が討死した粟津が原です」
と余は大きな声して先きの車を呼んだ。ふりかえった姉妹の顔も、唯ぼんやりと白かった。
車は一走《ひとはし》りして、燈火《ともしび》明《あか》るい町の唯有《とあ》る家の前に梶棒《かじぼう》を下ろした。
「何だ」
「義仲寺どす」
余は呆気《あっけ》にとられた。八年前|秋雨《あきさめ》の寂しい日に来て見た義仲寺は、古風な巷《ちまた》に嵌《はさ》まって、小さな趣ある庵《いおり》だった。
余は舌鼓《したつづみ》うって、門をたゝいて、強《しい》て開けてもらって内に入った。内は真闇《まっくら》である。車夫に提灯《ちょうちん》を持て来させて、妻や姉妹に木曾殿《きそどの》とばせをの墓を紹介《しょうかい》した。
外には汽関車の響や人声が囂々《ごうごう》と騒いで居る。
[#改ページ]
宇治の朝
宇治《うじ》に着いたのが夜の九時。万碧楼《まんぺきろう》菊屋に往って、川沿いの座敷に導かれた。近水楼台先得月、と中井桜洲山人の額《がく》がかゝって居る。
此処《ここ》は余にも縁浅からぬ座敷である。余の伯父はすぐれた大食家《たいしょくか》で、維新の初年こゝに泊って鰻《うなぎ》の蒲焼《かばやき》を散々に食うた為、勘定に財布《さいふ》の底をはたき、淀川の三十石に乗る
前へ
次へ
全342ページ中337ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
徳冨 蘆花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング