て曰く、
[#ここから3字下げ]
泥炭地耕すべくもあらぬとふさはれ美し虎杖《いたどり》の秋
[#ここで字下げ終わり]
 士別では、共楽座《きょうらくざ》など看板を上げた木葉葺《こっぱぶき》の劇場が見えた。
 午後三時過ぎ、現在の終点駅名寄着。丸石旅館に手荷物を下ろし、茶一ぱい飲んで、直ぐ例《れい》の見物に出かける。
 旭川平原をずっと縮《ちぢ》めた様な天塩川の盆地《ぼんち》に、一握《ひとにぎ》りの人家を落した新開町。停車場前から、大通りを鍵《かぎ》の手に折れて、木羽葺が何百か並んで居る。多いものは小間物屋、可なり大きな真宗《しんしゅう》の寺、天理教会、清素《せいそ》な耶蘇教会堂も見えた。店頭《みせさき》で見つけた真桑瓜《まくわうり》を買うて、天塩川に往って見る。可なりの大川、深くもなさそうだが、川幅一ぱい茶色の水が颯々《さあさあ》と北へ流れて居る。鉄線《はりがね》を引張った渡舟がある。余等も渡って、少し歩いて見る。多いものはブヨばかり。倒れ木に腰かけて、路をさし覆う七つ葉の蔭で、真桑瓜を剥《む》いた。甘味の少ないは、争われぬ北である。最早《もう》日が入りかけて、薄《うす》ら寒く、秋の夕《ゆうべ》の淋しさが人少なの新開町を押かぶせる様に四方から包んで来る。二《ふた》たび川を渡って、早々宿に帰る。町の真中《まんなか》を乗馬の男が野の方から駈《かけ》を追うて帰って来る。馬蹄《ばてい》の音が名寄中《なよろじゅう》に響き渡る。
 宿の主人は讃岐《さぬき》の人で、晩食《ばんめし》の給仕に出た女中は愛知の者であった。隣室《となりま》には、先刻《さっき》馬を頼んで居た北見の農場に帰る男が、客と碁をうって居る。按摩《あんま》の笛が大道を流して通る。
[#改ページ]

      春光台

 明治三十六年の夏、余は旭川まで一夜泊《いちやどまり》の飛脚旅行《ひきゃくりょこう》に来た。其時の旭川は、今の名寄よりも淋しい位の町であった。降りしきる雨の中を車で近文《ちかぶみ》に往って、土産話《みやげばなし》にアイヌの老酋《ろうしゅう》の家を訪うて、イタヤのマキリなぞ買って帰った。余は今車の上から見廻《みまわ》して、当年のわびしい記憶を喚起《よびおこ》そうとしたが、明治四十三年の旭川から七年前の旭川を見出すことは成功しなかった。
 余等は市街を出ぬけ、石狩川を渡り、近文のアイヌ部落を遠目に見て、
前へ 次へ
全342ページ中325ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
徳冨 蘆花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング