て、広くもあらぬ家には人影《ひとかげ》と人声《ひとごえ》が一ぱいに溢れて居る。土間の入口で、阿爺《ちゃん》の辰さんがせっせと饂飩粉《うどんこ》を捏《こ》ねて居る。是非《ぜひ》上《あが》れと云うのを、後刻とふりきって、大根を土間に置いて帰る。
午後万歳の声を聞いて、遽《あわ》てゝ八幡《はちまん》に往って見る。最早《もう》楽隊《がくたい》を先頭に行列が出かける処だ。岩公は黒紋付の羽織、袴、靴、茶《ちゃ》の中折帽《なかおれぼう》と云う装《なり》で、神酒《みき》の所為《せい》もあろう桜色になって居る。岩公の阿爺《ちゃん》は体格《なり》は小さい人の好い爺《じい》さんだが、昔は可なり遊んだ男で、小供まで何処かイナセなところがある。
余も行列に加わって、高井戸まで送る。真先《まっさ》きに、紫地に白く「千歳村粕谷少年音楽隊」とぬいた横旗を立てゝ、村の少年が銀笛《ぎんてき》、太鼓《たいこ》、手風琴《てふうきん》なぞピー/\ドン/\賑《にぎ》やかに囃《はや》し立てゝ行く。入営者の弟の沢ちゃんも、銀笛を吹く仲間《なかま》である。次ぎに送入営の幟《のぼり》が五本行く。入営者の附添人としては、岩公の兄貴の村さんが弟と並んで歩いて居る。若い時は、亭主が夜遊びするのでしば/\淋しい留守をして、宵夜中《よいよなか》小使銭《こづかい》貸せの破落戸漢《ならずもの》に踏み込まれたり、苦労に齢《とし》よりも老《ふ》けた岩公の阿母《おふくろ》が、孫の赤坊を負って、草履をはいて小走りに送って来る。四五日前に除隊になった寺本の喜三さんも居る。水兵服《すいへいふく》の丈高《たけたか》い男を誰かと思うたら、休暇で横須賀から帰って来た萩原の忠さんであった。一昨日|母者《ははじゃ》の葬式《そうしき》をして沈んだ顔の仁左衛門さんも来て居る。余は高井戸の通りで失敬して、径路《こみち》から帰った。ふりかえって見ると、甲州街道の木立に見え隠れして、旗影と少年音楽隊の曲《きょく》が次第に東へ進んで行く。
今日は何処《どこ》も入営者の出発で、船橋の方でも、万歳の声が夕日の空に※[#「風+昜」、第3水準1−94−7]《あが》って居た。
[#地から3字上げ](明治四十四年 十一月三十日)
*
辰爺さんが酔うて昨日の礼に饂飩を持て来た。うっかりして居たが、吾家《うち》は組内だから昨日も何角《なにか》の手
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