れるものも却て食う。般若心経《はんにゃしんきょう》に所謂、不増不減不生不滅不垢不浄、宇宙の本体は正に此である。
 然し我等は人間である。差別界《しゃべつかい》に住んで居る。煩悩《ぼんのう》もある。愚痴《ぐち》もある。我等は精神的に生きんと欲する如く、肉体の命も惜しい。吾情を以て他を推す時、犠牲《ぎせい》の叫《さけ》びは聞きづらい。
 ダァヰン[#「ダァヰン」に傍線]の兄弟分ワレース[#「ワレース」に傍線]博士は、蛇にのまるゝ蛙《かわず》は苦しい処ではない、一種の温味《おんみ》にうっとりとなって快感《かいかん》を以て蛇の喉《のど》を下るのだ、と云うた。大役《たいえき》小志《しょうし》の志賀氏は、旅順戦役を描《か》いて、決死の兵士は精神的《せいしんてき》高調《こうちょう》に入って、所謂苦痛なるものを大《たい》して感じない、と云って居る。如何にも道理で、また事実さもあろうと思わるゝ。
 然し我々は人間である。犠牲の声は聞きづらい。
[#地から3字上げ](明治四十五年 七月二十日)
[#改ページ]

     蜩

 今年の自家《うち》の麦は、大麦も小麦も言語道断の不作だ。仔細は斯様《こう》である。昨秋の麦蒔《むぎまき》に馬糞《ばふん》を基肥《もとごえ》に使った。其れが世田ヶ谷騎兵聯隊から持って来た新しい馬糞で、官馬の事だから馬が食ってまだよく消化《しょうか》しない燕麦《えんばく》が多量に雑《まじ》って居た。総じて新しい肥料はよくないものだが、自家《うち》には堆肥《たいひ》の用意がない為に、拠所《よんどころ》なく新しい馬糞に過燐酸《かりんさん》を混じて使った。麦が生《は》えると同時に、馬糞の中の燕麦が生えた。麦が伸《の》びると、燕麦も伸びた。燕麦は麦より強い。麦に追肥《おいごえ》をやると、燕麦が勝手に吸《す》ってしまってドン/\生長する。麦畑《むぎばた》が一面燕麦の畑の様になった。非常な手数をかけて一々燕麦をぬいたが、最早《もう》肝腎《かんじん》の麦は燕麦に負けて其《その》穂《ほ》は痩《や》せこけたものになって居た。肥料が肥料を食ってしまったのである。世には斯様《こん》な事が沢山ある。
 トルストイの遺著《いちょ》の中、英訳になった劇「生《い》ける屍《しかばね》」を読む。トルストイ化した「イナック、アヽデン」と云う様なものだ。「暗黒《あんこく》の力《ちから》」程の力は無いが
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