ページ]

     印度洋

 夜、新聞で見ると、長谷川《はせがわ》二葉亭《ふたばてい》氏が肺病で露西亜から帰国の船中、コロムボ[#「コロムボ」に二重傍線]と新嘉坡《シンガポール》の間で死んだとある。去十日の事。
 馬琴物《ばきんもの》から雪中梅型《せっちゅうばいがた》のガラクタ小説に耽溺《たんでき》して居た余に、「浮雲《うきぐも》」は何たる驚駭《おどろき》であったろう。余ははじめて人間の解剖室《かいぼうしつ》に引ずり込まれたかの如く、メスの様な其|筆尖《ふでさき》が唯恐ろしかった。それからツルゲーネフの翻訳「あひゞき」を国民の友で、「めぐりあひ」を都の花で見た時、余は世にも斯様《こん》な美しい世界があるかと嘆息した。繰《く》り返えし読んで足らず、手ずから写《うつ》したものだ。其後「血笑記《けっしょうき》」を除く外、翻訳物は大抵見た。「其《その》面影《おもかげ》」はあまり面白いとも思わなかった。「平凡《へいぼん》」は新聞で半分から先きを見た。浮雲の筆は枯《か》れきって、ぱっちり眼を開いた五十男の皮肉《ひにく》と鋭利《えいり》と、醒《さ》めきった人のさびしさが犇々《ひしひし》と胸に迫《せま》るものがあった。朝日から露西亜へ派遣《はけん》された時、余は其通信の一|行《ぎょう》も見落さなかった。通信の筆は数回ではたと絶えた。而《そう》して帰朝中途の死!
 印度洋はよく人の死ぬ所である。昔から船艦《せんかん》の中で死んで印度洋の水底に葬《ほうむ》られた人は数知れぬ。印度洋で死んだ日本人も一人や二人では無い。知人《ちじん》柳房生《りゅうぼうせい》の親戚|某神学士《ぼうしんがくし》も、病を得て英国から帰途印度洋で死んで、新嘉坡《シンガポール》に葬られた。二葉亭氏も印度洋で死んで新嘉坡で火葬され、骨になって日本に帰るのである。
 高山《こうざん》の麓《ふもと》の谷は深い。世界第一の高峻《こうしゅん》雪山《せつさん》を有《も》つ印度の洋《うみ》は、幾干《いくばく》の人の死体を埋めても埋めても埋めきれぬ。其|陸《りく》の菩提樹《ぼだいじゅ》の蔭に「死の宗教」の花が咲いた印度の洋《うみ》は、餌《え》を求めて※[#「厭/食」、第4水準2−92−73]《あ》くことを知らぬ死の海である。烈しい暑《あつ》さのせいもあろうが、印度洋は人の気を変にする。日本郵船のある水夫は、コロムボ[#「コロム
前へ 次へ
全342ページ中244ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
徳冨 蘆花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング