う》の信者である。遠い神仏《しんぶつ》を信心するでもなければ、近所隣の思惑《おもわく》や評判を気にするでもなく、流行《はやり》とか外聞《がいぶん》とかつき合《あい》とか云うことは、一切禁物で、恃《たの》む所は自家の頭と腕、目ざすものは金である。与右衛門さんには道楽《どうらく》と云うものが無いが、金と酒は生命《いのち》にかけて好きである。家《うち》で晩酌《ばんしゃく》に飲み、村の集会で飲み、有権者だけに衆議院議員の選挙《せんきょ》振舞《ぶるまい》で飲み、どうやらすると昼日中《ひるひなか》おかず媼《ばあ》さんの小店《こみせ》で一人で飲んで真赤《まっか》な上機嫌《じょうきげん》になって、笑って無暗《むやみ》にお辞義をしたり、管《くだ》を巻いたり、気焔《きえん》を吐《は》いたりして居ることがある。皆が店を覗《のぞ》いて、与右衛門さんのお株《かぶ》梅ヶ谷の独相撲《ひとりずもう》がはじまりだ、と笑う。与右衛門さんは何処までも自己中心である。人が与右衛門さんの地所を世話すれば、世話人は差措《さしお》いて必|直談《じきだん》に来る。自身の世話しかけた地所を人が直談にすれば、一盃機嫌で怒鳴《どな》り込んで来る。
然し与右衛門さんは強慾《ごうよく》であるかわり、彼は詐《うそ》を云わぬ。詐は貨幣《かね》同様《どうよう》天下の通《とお》り物である。都でも、田舎でも、皆それ/″\に詐をつく。多くの商売は詐に築《つ》かれた蜃気楼《しんきろう》と云ってもよい。此辺の田舎でも、些《ちっ》とまとまった買物を頼めば、売主は頼まれた人に、受取《うけとり》は幾何金《いくら》と書きましょうか、ときく。コムミッションの天引《てんびき》は殆《ほとんど》不文律になって居る。人を見て値《ね》を云う位は、世にも自然な事共である。東京から越して来た人に薪《まき》を売った者がある。他の村人が、あまり値段《ねだん》が高いじゃないかと注意したら、売り主の曰く、そりゃ些《ちった》ア高いかも知《し》んねえが、何某《なにがし》さんは金持《かねもち》だもの、此様な時にでも些《ちった》ア儲《も》うけさして貰《もら》わにゃ、と。而《そう》して薪の売主は、衆議院議員選挙権を有って居る、新聞位は読んで居る男である。売る葺萱《ふきがや》の中に屑《くず》をつめ込んで束《たば》を多くする位は何でも無い。
誰も平気に詐《うそ》をつく。然し看板《
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