\飲む気になれなかった。近隣の水を当座《とうざ》は貰《もら》って使ったが、何れも似寄《によ》った赤土水である。墓向うの家の水を貰いに往った女中が、井を覗《のぞ》いたら芥《ごみ》だらけ虫だらけでございます、と顔を蹙《しか》めて帰って来た。其向う隣の家に往ったら、其処《そこ》の息子が、此《この》家《うち》の水はそれは好い水で、演習行軍に来る兵隊なぞもほめて飲む、と得意になって吹聴したが、其れは赤子の時から飲み馴れたせいで、大した水でもなかった。
使い水は兎に角、飲料水《いんりょうすい》だけは他に求めねばならぬ。
家《うち》から五丁程西に当って、品川堀と云う小さな流水《ながれ》がある。玉川上水《たまがわじょうすい》の分派で、品川方面の灌漑専用《かんがいせんよう》の水だが、附近の村人は朝々顔も洗えば、襁褓《おしめ》の洗濯もする、肥桶も洗う。何《な》ァに玉川の水だ、朝早くさえ汲めば汚ない事があるものかと、男役に彼は水汲《みずく》む役を引受けた。起きぬけに、手桶《ておけ》と大きなバケツとを両手に提げて、霜を※[#「足へん+咨」、第4水準2−89−41]《ふ》んで流れに行く。顔を洗う。腰膚ぬいで冷水|摩擦《まさつ》をやる。日露戦争の余炎がまださめぬ頃で、面《めん》籠手《こて》かついで朝稽古から帰って来る村の若者が「冷たいでしょう」と挨拶することもあった。摩擦を終って、膚《はだ》を入れ、手桶とバケツとをずンぶり流れに浸して満々《なみなみ》と水を汲み上げると、ぐいと両手に提げて、最初一丁が程は一気に小走りに急いで行く。耐《こら》えかねて下ろす。腰而下の着物はずぶ濡れになって、水は七|分《ぶ》に減って居る。其れから半丁に一休《ひとやすみ》、また半丁に一憩《ひといこい》、家を目がけて幾休みして、やっと勝手に持ち込む頃は、水は六分にも五分にも減って居る。両腕はまさに脱《ぬ》ける様だ。斯くして持ち込まれた水は、細君《さいくん》女中《じょちゅう》によって金漿《きんしょう》玉露《ぎょくろ》と惜《おし》み/\使われる。
余り腕が痛いので、東京に出たついでに、渋谷の道玄坂《どうげんざか》で天秤棒《てんびんぼう》を買って来た。丁度《ちょうど》股引《ももひき》尻《しり》からげ天秤棒を肩にした姿を山路愛山君に見られ、理想を実行すると笑止《しょうし》な顔で笑われた。買って戻《もど》った天秤棒で、早速翌
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