、折角食ってくれ玉えと。美的百姓は憚りながらビーチアル[#「ビーチアル」に傍線]先生よりも上手だ。然し何事にも不熱心の彼には、到底|那須野《なすの》に稗《ひえ》を作った乃木さん程の上手な百姓は出来ぬ。川柳氏歌うて曰く、釣れますか、などと文王|傍《そば》へ寄り、と。美的百姓先生の百姓も、太公望の釣位なものだ。太公望は文王を釣り出した。美的百姓は趣味を掘り出さんとして手に豆をこさえる。
百姓として彼は終に落第である。彼は三升の蕎麦《そば》を蒔《ま》いて、二升の蕎麦を穫《え》たことがある。彼が蒔く種子は、不思議に地に入って雪の如く消えて了う。彼が作る菜《な》は多く苦《にが》い。彼が水瓜は九月彼岸前にならなければ食われない。彼が大根は二股三股はまだしも、正月の注連飾《しめかざり》の様に螺旋状《らせんじょう》にひねくれ絡《から》み合うたのや、章魚《たこ》の様な不思議なものを造る。彼の文章は格に入らぬが、彼の作る大根は往々芸術の三昧に入って居る。
彼は仕事着にはだし足袋、戦争《いくさ》にでも行く様な意気込みで、甲斐々々しく畑に出る。少し働いて、大に汗を流す。鍬柄《くわづか》ついて畑の中に突立《つった》った時は、天も見ろ、地も見ろ、人も見てくれ、吾れながら天晴見事の百姓振りだ。額の汗を拭きもあえずほうと一息《ひといき》入れる。曇った空から冷やりと来て風が額を撫でる。此処《ここ》が千両だ、と大きな眼を細くして彼は悦《えつ》に入る。向うの畑で、本物の百姓が長柄の鍬で、後退《あとしざ》りにサクを切るのを熟々《つくづく》眺めて、彼運動に現わるゝリズムが何とも云えぬ、と賞翫する。小雨ほと/\雲雀《ひばり》の歌まじり、眼もさむる緑の麦畑に紅帯《あかおび》の娘が白手拭を冠って静に働いて居るを見ては、歌か句にならぬものか、と色彩《いろ》故に苦労する。彼自身肥桶でも担《かつ》いで居る時、正銘の百姓が通りかゝれば、彼は得意である。農家のおかみに「お上手ですねえ」とお世辞《せじ》でも云われると、彼は頗る得意である。労働最中に美装《びそう》した都人士女の訪問でも受けると、彼はます/\得意である。
稀に来る都人士には、彼の甲斐々々しい百姓姿を見て、一廉《いっかど》其道の巧者《こうしゃ》になったと思う者もあろう。村の者は最早《もう》彼の正体《しょうたい》を看破して居る。田圃向うのお琴婆さんの曰くだ、旦
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