くなる。葛西《かさい》の肥料屋《こやしや》では、肥桶《こえおけ》にぐっと腕《うで》を突込み、べたりと糞のつくとつかぬで下肥《しもごえ》の濃薄《こいうすい》従って良否を験するそうだ。此辺でも、基肥《もとごえ》を置く時は、下肥を堆肥に交ぜてぐちゃ/\したやつを盛《も》った肥桶を頸《くび》からつるし、後ざまに畝《うね》を歩みつゝ、一足毎に片手に掴《つか》み出してはやり、掴み出してはやりする。或は更に稀薄《きはく》にしたのを、剥椀《はげわん》で抄《すく》うてはざぶり/\水田にくれる。時々は眼鼻に糞汁《ふんじゅう》がかゝる。
「あっ、糞が眼《め》ン中《なけ》へ入《はい》っちゃった」と若いのが云う。
「其れが本当の眼糞《めくそ》だァ」爺《おやじ》は平然たるものだ。
 平然たる爺が、ある時三四歳の男の子を連れて遊びに来た。誰のかと云えば、お春のだと云う。お春さんは爺さんの娘分《むすめぶん》になって居る若い女だ。
「お春が拾って来たんでさァ」と爺《じい》さんがにや/\笑いながら曰うた。
「拾って来た? 何処《どこ》で?」
 野暮《やぼ》先生正に何処かで捨子を拾って来たのだと思うた。爺は唯にや/\笑って居た。其《それ》は私生児であった。お春さんの私生児であった。
 お春さん自身が東京芸者の私生児であった。里子からずる/\に爺さんの娘分になり、近所に奉公に出て居る内に、丁度母の芸者が彼女を生んだ十六の年に、彼女も私生児を生んだ。歴史は繰《く》り返えす。細胞の記憶も執拗《しつよう》なものである。十六の母は其私生児を負《おぶ》って、平気に人だかりの場所へ出た。無頓着な田舎でも、「ありゃ如何《どう》したンだんべ?」と眼を円《まる》くして笑った。然し女に廃物《すたり》は無い。お春さんは他の東京から貰《もら》われて来た里子の果《はて》の男と出来合うて、其私生児を残して嫁に往った。而して二人は今幸福に暮らして居る。
 ある爺さんのおかみは、昔若かった時一度亭主を捨てゝ情夫と逃げた。然し帰って来ると、爺さんは四の五の云わずに依然かみさんの座《ざ》に坐《すわ》らした。太公望《たいこうぼう》の如く意地悪ではなかった。夫婦に娘が出来て、年頃になった。其娘が出入の若い大工と物置の中に潜《ひそ》む日があった。昔男と道行の経験があるおかみは頻《しきり》と之を気にして、裏口から娘の名を呼び/\した。爺さんの曰く、
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