中には樺色の麁《あら》い毛糸の手袋をして、雨天には簑笠姿《みのかさすがた》で、車の心棒に油を入れた竹筒《たけづつ》をぶらさげ、空の肥桶の上に、馬鈴薯《じゃがいも》、甘薯《さつまいも》の二籠三籠、焚付《たきつけ》疎朶《そだ》の五把六束、季節によっては菖蒲《あやめ》や南天小菊の束なぞ上積にした車が、甲州街道を朝々幾百台となく東京へ向うて行く。午後になると帰って来る。両腕に力を入れ、前俛《まえかが》みになって、揉《も》みあげに汗《あせ》の珠《たま》をたらして、重そうに挽いて帰って来る。上荷には、屋根の修繕に入用のはりがねの二巻三巻、棕櫚縄《しゅろなわ》の十束二十束、風呂敷かけた遠路籠の中には、子供へみやげの煎餅の袋も入って居よう。かみさんの頼んだメリンスの前掛も入って居よう。或は娘の晴着の銘仙も入って居よう。此辺の女は大抵留守ばかりして居て、唯三里の東京を一生見ずに死ぬ者もある。娘の婚礼着すら男親が買うことになって居る。「阿爺《おとッつぁん》、儂《おら》ァ此《この》縞《しま》ァ嫌《やァ》だ」と、毎々|阿娘《おむす》の苦情が出る。其等の車が陸続として帰って来る。東京場末の飯屋《めしや》に寄る者もあるが、多くは車を街道に片寄せて置いて、木蔭《こかげ》で麦や稗《ひえ》の弁当をつかう。夏の日ざかりには、飯を食うたあとで、杉の木蔭に※[#「鼻+句」、第4水準2−94−72]々《ぐうぐう》焉と寝て居る。荷が重いか、路が悪い時は、弟や妹が中途まで出迎えて、後押して来る。里道にきれ込むと、砂利も入って居らぬ路はひどくぬかるが、路が悪い悪いとこぼしつゝ、格別路をよくしようともせぬ。其様な暇も金も無いのである。
甲州街道の新宿出入口は、町幅が狭い上に、馬、車の往来が多いので、時々肥料車が怪我《けが》をする。帰りでも晩《おそ》いと、気が気でなく、無事な顔見るまでは心配でならぬと、村の婆さんが云うた。水の上を憂うる漁師の妻ばかりではない。平和な農村にも斯様な行路難《こうろだん》がある。
東京|界隈《かいわい》の農家が申合せて一切下肥を汲まぬとなったら、東京は如何様《どんな》に困るだろう。彼が東京住居をして居た時、ある日|隣家《となり》の御隠居《ごいんきょ》婆《ばあ》さんが、「一ぱいになってこぼるゝ様になってるものを、せっせと来てくれンじゃ困るじゃないか」と疳癪声《かんしゃくごえ》で百姓を叱る
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