なぜ犬猫を可愛《かあい》がらぬのであろう。直ぐ畜生《ちきしょう》と云っては打ったり石を投げたりする。矢張大人の真似を子供はするのであろう。禽獣を愛せぬ国民は、大国民の資格《しかく》が無い。犬猫をいじめる子供は、やがて朝鮮人《ちょうせんじん》台湾人《たいわんじん》をいじめる大人である。ある犬通の話に、野犬《やけん》の牙は飼犬《かいいぬ》のそれより長くて鋭く、且|外方《そっぽう》へ向《む》くものだそうだ。生物《せいぶつ》には飢《うえ》程恐ろしいものは無い。食にはなれた野犬が猛犬になり狂犬になるのは唯一歩である。野武士《のぶし》のポチは郎等のデカとなって、犬相が大に良くなった。其かわり以前の強味はなくなった。富国強兵兎角両立し難いものとあって、デカが柔和に即ち弱《よわ》くなったのも※[#「しんにょう+官」、第3水準1−92−56]《のが》れぬ処であろう。以上二頭の犬の外、トラと云う雄猫《おねこ》が居る。犬好きの家は、猫まで犬化して、トラは畳《たたみ》の上より土に寝《ね》るが好きで、儂等が出あるくと兎《うさぎ》の如《ごと》くピョン/\はねて跟《つ》いて来る。米の飯《めし》より麦《むぎ》の飯、魚《さかな》よりも揚豆腐が好きで、主人を見真似たか梨や甜瓜《まくわ》の喰い残りをがり/\噛《かじ》ったり、焼いた玉蜀黍《とうもろこし》を片手で押えてわんぐり噛《か》みつきあの鋭い牙で粒を食《く》いかいてはぼり/\噛ったり、まさに田園《でんえん》の猫である。来客があって、珍《めず》らしく東京から魚を買ったら、トラ先生|早速《さっそく》口中に骨を立て、両眼に涙、口もとからは涎《よだれ》をたらし、人|騒《さわ》がせをしてよう/\命だけは取りとめた。犬猫の外に鶏が十羽。蜜蜂は二度|飼《か》って二度逃げられ、今は空箱だけ残って居る。天井《てんじょう》の鼠、物置の青大将《あおだいしょう》、其他無断同居のものも多いが、此等《これら》は眷族《けんぞく》の外である。(著者追記。犬のデカは大正二年の二月自動車に轢《ひ》かれて死に、猫のトラは正月行衛不明になり、ピンは五月肥溜に落ちて死んだ。)
 猫の話で思い出したが、儂《わし》は明治四十二年の春、塩釜《しおがま》の宿で牡蠣《かき》を食った時から菜食《さいしょく》を廃《よ》した。明治三十八年十二月から菜食をはじめて、明治三十九、四十、四十一、と満三年の精進《し
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