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     食われるもの

 奥の座敷で日課を書いて居ると、縁に蹲《うずくま》って居た猫のトラがひらりと地に飛び下りた。またひらり縁に飛び上ったのを見ると、蜥蜴《とかげ》を啣《くわ》えて居る。窃《そ》と下ろした。蜥蜴は死んだのか、気絶したのか、少しも動かぬ。トラはわんぐりと喰《く》いはじめた。まだ生きて居ると見えて、蜥蜴の尾《お》が右左に揺《うご》いた。トラは遽《あわ》てず、眼を閉《と》じ、頭を傾《かし》げて、悠々《ゆうゆう》と味わい/\食って居る。小さな豹《ひょう》か虎かを見て居る様で、凄《すご》い。蜥蜴の体は最早トラの胃の中にあるに、切れて落ちた鋼鉄色《こうてついろ》の尾の一片は、小さな一疋の虫かなんぞの様にぐるっと巻《ま》いたりほどけたりして居る。トラめは其れも鵜呑《うのみ》にして了うた。蜥蜴のカタミは何も無い。日は相変らず昭々《しょうしょう》と照らして居る。地球は平気で駛《はし》って居る。木の葉一つソヨがぬ。トラは蜥蜴を食ってしまって、世にも無邪気《むじゃき》な顔をして、眼を閉じて眠って了うた。
 昨日は庭で青白い螟蛉《あおむし》を褐色《かちいろ》のフウ虫二疋で螫《さ》し殺して吸うて居るのを見た。
 一昨日《おととい》は畑を歩いて、苦しい蛙《かわず》の鳴き声を聞いた。ドウしても蛇《へび》にかゝった蛙の鳴き声と思って見まわすと、果然《はたして》二尺ばかりの山かゞしが小さな蛙の足を啣《くわ》えて居る。余は土塊《つちくれ》を投げつけた。山かゞしは蛇の中でも精悍《せいかん》なやつである。蛙の腿《もも》を啣えながら鎌首《かまくび》をたてゝ逃げて行く。竹ぎれを取って戻《もど》ると、玉蜀黍《とうもろこし》の畑に見えなくなった了うた。

 優勝《ゆうしょう》劣敗《れっぱい》は天理である。弱肉強食は自然である。宇宙は生命《いのち》のとりやりである。然し強いものゝ上に尚強いものがあり、弱いものゝ下に尚弱いものがある。而して一番弱いものが一番強いものに勝つ場合もある。顕微鏡下《けんびきょうか》に辛《かろ》うじて見得る一|細菌《さいきん》が、神の子だイヤ神だと傲《おご》る人間を容易に殺して了うではないか。畢竟《ひっきょう》宇宙は大円《だいえん》。生命は共通。強い者も弱い。弱い者も強い。死ぬるものが生き、生きるものが死に、勝つ者が負け、負ける者が勝ち、食う者が食われ、食われるものも却て食う。般若心経《はんにゃしんきょう》に所謂、不増不減不生不滅不垢不浄、宇宙の本体は正に此である。
 然し我等は人間である。差別界《しゃべつかい》に住んで居る。煩悩《ぼんのう》もある。愚痴《ぐち》もある。我等は精神的に生きんと欲する如く、肉体の命も惜しい。吾情を以て他を推す時、犠牲《ぎせい》の叫《さけ》びは聞きづらい。
 ダァヰン[#「ダァヰン」に傍線]の兄弟分ワレース[#「ワレース」に傍線]博士は、蛇にのまるゝ蛙《かわず》は苦しい処ではない、一種の温味《おんみ》にうっとりとなって快感《かいかん》を以て蛇の喉《のど》を下るのだ、と云うた。大役《たいえき》小志《しょうし》の志賀氏は、旅順戦役を描《か》いて、決死の兵士は精神的《せいしんてき》高調《こうちょう》に入って、所謂苦痛なるものを大《たい》して感じない、と云って居る。如何にも道理で、また事実さもあろうと思わるゝ。
 然し我々は人間である。犠牲の声は聞きづらい。
[#地から3字上げ](明治四十五年 七月二十日)
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     蜩

 今年の自家《うち》の麦は、大麦も小麦も言語道断の不作だ。仔細は斯様《こう》である。昨秋の麦蒔《むぎまき》に馬糞《ばふん》を基肥《もとごえ》に使った。其れが世田ヶ谷騎兵聯隊から持って来た新しい馬糞で、官馬の事だから馬が食ってまだよく消化《しょうか》しない燕麦《えんばく》が多量に雑《まじ》って居た。総じて新しい肥料はよくないものだが、自家《うち》には堆肥《たいひ》の用意がない為に、拠所《よんどころ》なく新しい馬糞に過燐酸《かりんさん》を混じて使った。麦が生《は》えると同時に、馬糞の中の燕麦が生えた。麦が伸《の》びると、燕麦も伸びた。燕麦は麦より強い。麦に追肥《おいごえ》をやると、燕麦が勝手に吸《す》ってしまってドン/\生長する。麦畑《むぎばた》が一面燕麦の畑の様になった。非常な手数をかけて一々燕麦をぬいたが、最早《もう》肝腎《かんじん》の麦は燕麦に負けて其《その》穂《ほ》は痩《や》せこけたものになって居た。肥料が肥料を食ってしまったのである。世には斯様《こん》な事が沢山ある。
 トルストイの遺著《いちょ》の中、英訳になった劇「生《い》ける屍《しかばね》」を読む。トルストイ化した「イナック、アヽデン」と云う様なものだ。「暗黒《あんこく》の力《ちから》」程の力は無いが
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