3字上げ](明治四十五年 六月十日)
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     ムロのおかみ

 目籠《めかご》を背負《せお》って、ムロのおかみが自然薯《じねんじょ》を売りに来た。一本三銭宛で六本買う。十五銭に負《ま》けろと云うたら、それではこれが飲《の》めぬと、左の手で猪口《ちょこ》をこさえ、口にあてがって見せた。
 ムロのおかみは酒が好きである。
 ムロのおかみは近村《きんそん》の者である。夫婦はもと兄の家のムロに住んで居たので、今も「ムロ」さん/\と呼ばれて居る。夫婦して一《ひと》つコップから好きな酒を飲み合い、暫時《しばし》も離れぬので、一名|鴛鴦《おし》の称がある。夫婦は農家の出だが、別に耕《たがや》す可き田畑も有《も》たぬ。自然薯でも、田螺《たにし》でも、鰌《どじょう》でも、終始|他人《ひと》の山林田畑からとって来ては金に換《か》え、飯《めし》に換え、酒に換える。門松すら剪《き》って売ると云う評判がある。村に行わるゝ自然《しぜん》の不文律《ふぶんりつ》で、相応な家計《くらし》を立てゝ居る者が他人の櫟《くぬぎ》の枝一つ折っても由々敷《ゆゆしい》咎《とが》になるが、貧しい者は些《ちっと》やそとのものをとっても、大目に見られる。ムロの鴛鴦夫婦は、此《この》寛典《かんてん》の中に其理想的|享楽生活《きょうらくせいかつ》を楽しんで居るのである。
 午後到頭雨になった。蛙《かわず》の声が劣《おと》らじと雨に競《きそ》うてわめく。
 夜皆寝て了うたあとで、母屋《おもや》の段落《だんおち》で二葉亭訳「うき草」を読んだ。此処《ここ》は引越した年の秋、無理に北側《きたがわ》につぎ足した長五畳の板張《いたばり》で、一尺程段落になって居る。勾配《こうばい》がつかぬので、屋根は海鼠板《なまこいた》のトタンにし、爪立《つまだ》てば頭が閊《つか》える天井《てんじょう》を張った。先には食堂にして居たので、此狭い船房《カビン》の様な棺の中の様な室《しつ》で、色々の人が余等と食を共にした。今は世に亡《な》き人々の記憶が、少なからず此処《ここ》に籠《こも》って居る。
 夜は更《ふ》けた。余は「うき草」の巻を開《あ》けたまゝ、読むともなく、想うともなく、テェブルに凭《もた》れて居る。雨がぼと/\頭上《ずじょう》のトタンをたゝく。ランプが※[#「虫+慈」、下巻−68−4]々ともえる。
 うき草の訳者二葉亭は印度洋で死んだ。原著者のツルゲーネフは夙《とう》に死んだ。然しルヂンは生きて居る。ナタリーも生きて居る。アレキサンドラも、ビカソーフも、バンタレフスキーもワルインツオフも生きて居る。
 人生短、芸術千古。
[#地から3字上げ](明治四十二年 六月十五日)
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     田圃の簑笠

 朝から驟雨性《しゅううせい》の雨がざあと降って来たり、繊《ほそ》い雨が煙ったり、蛞蝓《なめくじ》が縁に上り、井戸|縁《ぶち》に黄な菌《きのこ》が生《は》えて、畳の上に居ても腹の底まで滲《し》み通りそうな湿《しめ》っぽい日。
 今日も庭の百日紅《さるすべり》の梢に蛇が居る。何処かの杉の森で梟《ふくろ》がごろ/\咽《のど》を鳴らして居る。麦が収められて、緑暗い村々に、微《すこ》しの明るさを見せるのは卵色の栗の花である。
 蛙の声の間々《あいあい》に、たぶ/\、じゃぶ/\田圃に響《おと》がする。見れば簑笠《みのかさ》がいくつも田に働いて居る。遠く見れば水戸様の饌《ぜん》にのりそうな農人形が、膝まで泥に踏み込んで、柄の長い馬鍬《まんが》を泥に打込んでは曳《えい》やっと捏《こ》ね、また打込んでは曳やっとひく。他所では馬に引かす犁《すき》を重そうに人間が引張って、牛か馬の様に泥水《どろみず》の中を踏み込み/\ひいて行く。労力《ろうりょく》其ものゝ画姿を見る様で、気の毒すぎて馬鹿※[#二の字点、1−2−22]※[#二の字点、1−2−22]しく、腹が立つ。労働は好いが、何故《なぜ》牛馬の働《はたらき》までせねばならぬ乎。
 然し千歳村は約千町歩の面積《めんせき》の内、田はやっと六十町歩に過ぎぬ。田の労《ろう》は多くない。馬を使う程でもない、と皆が云う。此れでも昔は馬も居たそうだが、今は馬を飼《か》うも不経済《ふけいざい》で、馬を使うより人力がまだ/\ましと皆が云う。共同して馬を飼うたらと云ったこともあるが共同が中々行われぬ。
 馬も一利一害である。余の字《あざ》には、二三年来二十七戸の内で馬を飼う家が三軒出来た。内二軒は男の子が不足なので、東京からの下肥《しもごえ》ひきに馬を飼う事を思い立ったのである。然し石山の馬は、口綱をとって行く主人と調子が合わなかった為、一寸した阪路を下る車に主人は脾腹《ひばら》と太腿《ふともも》をうたせ、二月も寝る程の怪我をした。寺本の馬は、新宿で電車に驚いて、盲
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