医の生活をして居た。
 余が千歳村に引越した其夏、遊びに来た一学生をちと没義道《もぎどう》に追払ったら、学生は立腹して一《ひと》はがき五拾銭の通信料をもらわるゝ万朝報《よろずちょうほう》の文界《ぶんかい》短信《たんしん》欄《らん》に福富《ふくとみ》源次郎《げんじろう》は発狂したと投書した。自分は可なり正気の積りで居たが、新聞なるものゝ平気に譌《うそ》をつく事をまだよく知らぬ人達の間には大分|影響《えいきょう》したと見え、見舞やら問合せの手紙はがきなどいくらか来て、余は自身で自身の正気を保証《ほしょう》す可く余儀なくされた。ある日、庭で覚束《おぼつか》ない手つきをして小麦を扱《こ》いて居ると、入口で車を下りて洋装の紳士が入って来た。余は眼を挙げて安達君を見た。安達君は彼万朝報の記事を見て、余を見舞にわざ/\東京から来てくれたのであった。君は余の不相変《あいかわらず》ぼんやりして麦扱《むぎこ》きをして居るのを見て、正気だと鑑定《かんてい》をつけたと見え、来て見て安心したと云った。而《そう》して此れから北海道の増毛《ましげ》病院長となって赴任する所だと云った。妻子は? ときいたら、はっきりした返事をしなかった。
 北海道から林檎《りんご》やら歌《うた》やら送って来た。病院長の生活は淋しいものらしかった。家庭の模様《もよう》を聞いてやっても、其れだけは何時《いつ》もお茶を濁して来た。余は
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北の国|五百重《いほへ》につもる白雪も
    埋《うづ》みは果てじ胸の焔を
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 訳《わけ》の分からぬ歌など消息の端《はし》にかきつけた。
 間もなく君はまた郷里紀州に帰った。而して相変らず医を業としつゝ、其|熬々《いらいら》を漏《もら》す為に「浜《はま》ゆふ」なぞ云う文学雑誌を出したり、俳句に凝ったりして居た。曾て夏密柑を贈ってくれた。余は
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紀の国のたより来る日や風|薫《かを》る
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 斯様《こん》な悪句《あくく》を書いて酬《むく》うた。或時君の令弟が遊びに来た。聞けば、細君は別居して、家庭はあまり面白くもなさそうだが、遠隔《えんかく》の地突込んで聞きもならず、其まゝに打過ぎた。
 梅雨《ばいう》季《き》は誰しも発狂しそうな時節だ。安達君から、
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梅霖欝々、憂愁如水
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などはがきに書いて来た。
 翌年の春、突然他の紀州の人から安達君が発狂して自殺したと知らして来た。驚いて令弟《れいてい》宛《あて》に弔状《ちょうじょう》を出したら、其れと行き違いに先の人から、安達君は短刀で自殺しかけたが、負傷したまゝで人に止《と》められたと云って、紀州の新聞を一枚送って来た。其れには安達君の直話《じきわ》として、苟《いやしく》も書を読み理義《りぎ》を解する者が、此様な事を仕出来《しでか》して、と恥じて話して居た。
 余は慰問状を出した。其れが紀州に届いたと思う頃、令弟から安達君は到頭《とうとう》先度の傷の為に亡くなった、と知らして来た。
 安達君は余の発狂を見舞に来てくれたが、余は安達君の病原《びょうげん》に触《ふ》るゝことが出来なかった。
 記念の暁斎《ぎょうさい》画譜《がふ》は大切《だいじ》に蔵《しま》って居る。
[#改丁]
[#ここで上巻終わり]

   落穂の掻き寄せ

     デデン

 一月一日
 七時|起床《きしょう》。戸を開けば、霜如雪《しもゆきのごとし》。裏の井戸側《いどばた》に行って、素裸《すっぱだか》になり、釣瓶《つるべ》で三ばい頭から水を浴びる。不精者《ぶしょうもの》の癖《くせ》で、毎日の冷水浴をせぬかわり、一年分を元朝《がんちょう》に済《す》まそうと謂うのである。
 戸、窓《まど》の限りを明《あ》け、それから鶏小屋《とりごや》の開闢《かいびゃく》。
 畑《はたけ》に出て紅《あか》い実付《みつき》の野茨《のばら》一枝《ひとえだ》を剪《き》って廊下の釣花瓶《つりはないけ》に活《い》け、蕾付《つぼみつき》の白菜《はくさい》一株《ひとかぶ》を採《と》って、旅順《りょじゅん》の記念にもらった砲弾《ほうだん》信管《しんかん》のカラを内筒《ないとう》にした竹の花立《はなたて》に插《さ》し、食堂の六畳に飾《かざ》る。旧臘《きゅうろう》珍らしく暖《あたたか》だったので、霜よけもせぬ白菜に蕾がついたのである。
 十時過ぎ、右の食堂で家族打寄り、梅干茶《うめぼしちゃ》一|碗《わん》、枯露柿《ころがき》一|個《こ》。今日《きょう》此家《ここ》で正月を迎えた者は、主人夫妻、養女、旧臘から逗留中《とうりゅうちゅう》の秋田の小娘《こむすめ》、毎日仕事に来る片眼のかみさん。猫のトラ、犬のデカ、ピン、小犬のチョン、クマ、鶏が十五羽。

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