一|反《たん》五|畝《せ》の土と十五坪の草葺のあばら家《や》の主《ぬし》になり得た彼は、正に帝王《ていおう》の気もちで、楽々《らくらく》と足踏み伸ばして寝たのであった。
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村入
引越の翌日は、昨日の温和に引易えて、早速《さっそく》田園生活の決心を試すかの様な烈しいからッ風であった。三吉は植木《うえき》を植えて了うて、「到底一年とは辛抱《しんぼう》なさるまい」と女中に囁《ささ》やいて帰って往った。昨日荷車を挽《ひ》いた諸君が、今日も来て井戸を浚《さら》えてくれた。家主の彼は、半紙二帖、貰物《もらいもの》の干物少々持って、近所四五軒に挨拶に廻《まわ》った。其翌日は、石山氏の息子の案内で、一昨、昨両日骨折ってくれられた諸君の家を歴訪して、心ばかりの礼を述べた。臼田君の家は下祖師ヶ谷で、小学校に遠からず、両《りょう》角田君《つのだくん》は大分離れて上祖師ヶ谷に二軒隣り合い、石山氏の家と彼自身の家《うち》は粕谷にあった。何れも千歳村の内ながら、水の流るゝ田圃《たんぼ》に下《お》りたり、富士大山から甲武連山《こうぶれんざん》を色々に見る原に上ったり、霜解《しもどけ》の里道を往っては江戸みちと彫った古い路しるべの石の立つ街道を横ぎり、樫《かし》欅《けやき》の村から麦畑、寺の門から村役場前と、廻れば一里もあるかと思われた。千歳村は以上三の字《あざ》の外、船橋《ふなばし》、廻沢《めぐりさわ》、八幡山《はちまんやま》、烏山《からすやま》、給田《きゅうでん》の五字を有ち、最後の二つは甲州街道に傍《そ》い、余は何れも街道の南北一里余の間にあり、粕谷が丁度中央で、一番戸数の多いが烏山二百余戸、一番少ないのが八幡山十九軒、次は粕谷の二十六軒、余は大抵五六十戸だと、最早《もう》そろ/\小学の高等科になる石山氏の息子《むすこ》が教えてくれた。
期日は三月一日、一月おくれで年中行事をする此村では二月一日、稲荷講《いなりこう》の当日である。礼廻りから帰った彼は、村の仲間入すべく紋付羽織に更《あらた》めて、午後石山氏に跟《つ》いて当日の会場たる下田氏の家に往った。
其家は彼の家から石山氏の宅に往く中途で、小高い堤《どて》を流るゝ品川堀《しながわぼり》と云う玉川浄水の小さな分派《わかれ》に沿うて居た。村会議員も勤むる家《うち》で、会場は蚕室《さんしつ》の階下であった。千歳村でも戸毎に蚕《かいこ》は飼いながら、蚕室を有つ家は指を屈する程しか無い。板の間に薄べり敷《し》いて、大きな欅の根株《ねっこ》の火鉢が出て居る。十五六人も寄って居た。石山氏が、
「これは今度東京から来《き》されて仲間に入れておもらい申してァと申されます何某《なにがし》さんで」
と紹介《しょうかい》する。其尾について、彼は両手《りょうて》をついて鄭重《ていちょう》にお辞儀《じぎ》をする。皆が一人※[#二の字点、1−2−22]※[#二の字点、1−2−22]《ひとりひとり》来ては挨拶する。石山氏の注意で、樽代《たるだい》壱円仲間入のシルシまでに包んだので、皆がかわる/″\みやげの礼《れい》を云う。粕谷は二十六軒しかないから、東京から来て仲間に入《はい》ってくれるのは喜ばしいと云う意を繰り返し諸君が述べる。会衆中で唯《ただ》一人チョン髷《まげ》に結った腫《は》れぼったい瞼《まぶた》をした大きな爺《じい》さんが「これははァ御先生様《ごせんせいさま》」と挨拶した。
やがてニコ/\笑って居る恵比須顔《えびすがお》の六十|許《ばかり》の爺さんが来た。石山氏は彼を爺さんに紹介して、組頭の浜田さんであると彼に告げた。彼は又もや両手をついて、何も分からぬ者ですからよろしく、と挨拶する。
二十五六人も寄った。これで人数は揃ったのである。煙草《たばこ》の烟《けむり》。話声。彼真新しい欅の根株の火鉢を頻に撫でて色々に評価する手合《てあい》もある。米の値段の話から、六十近い矮《ちいさ》い真黒な剽軽《ひょうきん》な爺さんが、若かった頃米が廉《やす》かったことを話して、
「俺《わし》と卿《おまえ》は六合の米よ、早くイッショ(一緒《いっしょ》、一|升《しょう》)になれば好い」
なんか歌ったもンだ、と中音《ちゅうおん》に節《ふし》をつけて歌い且話して居る。
腰の腫物《はれもの》で座蒲団も無い板敷の長座は苦痛《くつう》の石山氏の注意で、雑談会《ざつだんかい》はやおら相談会に移った。慰兵会の出金問題《しゅっきんもんだい》、此は隣字から徴兵《ちょうへい》に出る時、此字から寸志を出す可きや否の問題である。馬鹿々々しいから出すまいと云う者もあったが、然し出して置かねば、此方から徴兵に出る時も貰う訳に行かぬから、結局出すと云う事に決する。
其れから衛生委員《えいせいいいん》の選挙、消防長の選挙がある。テー
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